自分が誰であるかについて
長いこと体調が悪かったが,その原因の一端が見え始めた. あまりうまく仕事を進めることができなかった原因は,自分の仕事について納得がいっていなかったからであり,その理由は自分がどういう働きを期待されているのかについてよく理解していなかったからであった. 僕はWebアプリケーションエンジニアである.このことがすっぽりと頭から抜け落ちてしまっていたのだ.
僕はなんとなく高校で文系を選択し,文系の学部を卒業し,たまたま趣味でUNIXが扱えたし,当時Scalaやそれを用いたWebアプリケーションが書けたので,インターンを介してはてなで新卒として働くことになった.ここまでの流れは,割とラフに決まっていったというか,なんとなくそうなっていて,何をするという決心のもとに進路を選択したというわけではなかった.恥ずかしいことに,自分でもなぜそうなったのかよくわかっていなかった.運が良かったので,得意なコンピュータを扱う仕事に就くことができた,という感覚だった.お世辞にも高校の成績が良くなかったので,一種の諦めの境地に達していて,真剣に進路というものを案じるのをやめてしまっていた.自分の役割が何であるかについて定義するという習慣がなくなっていたのだ.そして今になって,いざ仕事を行い,技術で金を稼ぐようになってからは,その自己定義の欠如のために意欲があいまいになってしまい,自分に割り当てられた仕事が自分にとって何であるかがよく分からなくなっていたのだ.
自分はなぜ今の仕事をしているのか?という問いと向き合ううちに,自分がWebアプリケーションエンジニアであるという自覚を持つに至った.これは実際の肩書である.だから,その視点で物事を運んでいくことが求められるし,その立場から判断を下すことができるようになった.これは一見当然のようだが,働きだして最初のころは周りについていくのに精一杯で,自分が何であるかについて考える余裕などなかった.今となって心理的余裕ができてから,自分の役割とは何かについてよく考えていないことからくる疲労に見舞われた.そしてようやく仕事に対する考え方が立脚するようになった.
自分の役割について考えることは思いのほか大事なものだ.それがなければ,創造的な精神活動は妨げられてしまうだろう.求められる役割への自覚があってこそ,それに応えようとする意欲が生まれるのであって,自覚が得られなければ,自信がないまま精神的な漂流を続けることになると思う.