あまりに数学ができなかったため高校で半ば落第しかけ、志望という言葉を辞書から追い出さねばならなかった。俺達の受験ではなく、あいつらの受験になった。いつの間にか後姿しか見えなくなっていた同級生が眩しく、おもわず目を背けた。自分からは目を背けられない。
レールから投げ出されたと感じたボクは、絶望しきっていた。思い浮かべていた理想の人生はどこへ?レールの外から見上げる風景は、常に無言で、敵対的で、心理的な不安そのものだった。最愛の祖母も失っていた。誰もが子供ながらに抱く、ある種の楽観的な人生なるものへの憧れは、突然ぷつんと事切れてしまうのだ。
自分は何でいられるのか?レールから外れた自分は何なのか?むしろレールの上でなんの苦労も無く幸せに生きてきただけに、頭の中の世界に与えた衝撃は大きかった。もう、人生の主役にはなれないのだと思った。常に毎日が悲観だった。朝日や夕日に照らされたレールを虚ろに見つめていたことも、一度や二度ではない。
しかしその傍ら、常に楽器があった。高校になって始めたベース。あの頃は『けいおん!』も流行っていたし、ニコニコでティッシュ姫が星間飛行を弾いていて、それはまるで永遠に覚めない夢だった。同級生とバンドを組んだ。僕はさっぱり下手くそだったが、成り行きで行った大学でも僕を支え続けてくれた。恋の始まりと終わり、飲酒と破滅、自分にぶつけるしかない怒りと自暴自棄、タバコと冬、山深くにある廃墟めいたスタジオと人の居ない道路、居場所のない人間たち。だから寂しい場所にわざと行く。傷が緩んで心が血を流す。そこが居場所だ。精神的リストカッターとでも言えようか。いまさら傷を忘れるのも癪なのだ。だから血に救いを求めようとする。ダメそうなバンドマンはそういうところがピュアなのだ。
で、就職はできた。ソフトウェアを書いている。別世界だ。慣れずに何度も迷惑を掛けた。最近はソフトウェアと向き合うコツがわかってきた。ソフトウェアにつけた傷が自分の居場所にならないようにすること。楽観的になること。やる前から立ち止まらないこと。
ときどきベースが懐かしくなる。実家で休んでいるベースは、大きくて新幹線には乗せられない。おもえば京都に来てから、さっぱりベースを弾いていない。だから今度新しいのを買おう。人生の通奏低音をもう一度。