Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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ごちゃごちゃうるせえ!!と思ったときに読みなおす

口だけ野郎になるか実力で以て示す人間のどちらになりたいかと言われれば,批判だけでなく行動も完遂できる人間になりたい.みんなそう思っている. でも多くの場合俺たちは,ちょっとしたことに目をつぶりながら,ごまかしごまかし糸を紡いでいる.でも他人がそうしているのには,黙っていることができないものだ.

批判だけして行動しない人間は,行動する人間と比べるとクソに見えるが,だからといって批判をさせなかったり受け入れない言い訳にはならない. そもそも人間は他者の実践性には敏感で,自己の実践性には鈍感なもんである.だから批判だけして行動しない他者がクソに見える.

しかし言うだけでやらないというのでは当然説得力がないので,その観点からは自分の言ってることの実践性については敏感であるべきだが,人間の実践性には限りがある. その一方で世の中には努力を重ねることができて勝利することができ,それを続けられた,幸運でマッチョな人間もいて,往々にして強い発言力を持っているので,実践性への要求が強くなってしまいがちである.

本来ならば批判を行うのに行動も対案も必要ないはずで,批判を受けた側はありがとうございますと言って受け取るべきであって,対案を用意しないのなら批判を止めろと迫ったり,秩序を乱すようなことをするなといって道徳の問題にすりかえたりしてはいけない.そうだろう?

まあでも偶に「ごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ」と思うこともある.俺も人間だからな. 興味のあることは重要だと思うし,ないことは重要ではないと思うようになっている. 不幸なのは,重要だと思っている人とそう思わない人が,同じ土俵に入ってしまうときだ.「情報は受け手が選択する」というのがインターネットのスローガンだが,本当にそれがうまくいったためしがない. 検索可能で追跡可能なインターネットはそういうのとは完全に相性が悪い.発言の現場を持ち運べることで,その場に居ないという状況がなくなってしまっている.誰もが当事者にされてしまうし,知ってしまったからには夢見が悪い.こういった場所に必ず出現してしまうクソリプは,そういった夢見の悪さをぬぐい去ろうとした人間の悲鳴のようにも思える.

そういうわけなので,好きにものを言うはけ口がインターネットにも必要だと思う.そうやってサブ垢というものがあるのに,サブ垢には厳しい時代になってしまった. だからこれから幸せになるのは,見て見ぬふりをすることができる人間だろうなと思う.

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