今年何が欲しいかな~ということを考えていたら、未来が欲しいねということになった。未来のワクワクを最後に感じたのはいつだろう?ちょっと考えてみてほしい。
人は未来に対する希望で生きているようなところがある。ルターもそう言っている。
この世を動かす力は希望である。やがて成長して新しい種子が得られるという希望がなければ、農夫は畑に種をまかない。
自分にとってネットは、未来の語り部に出会いに行く場。ニコニコ技術部といったテーマをよく見ていたし、技術が本当に自分たちのものになったことに喜んでいた。 今はどちらかといえば、ネットは怒りや不満の伝道師に会いに行くような場所になってしまった。ネットはただの現実の写し鏡になってしまった。 どこかのブコメでも見たが、テレビでも、かつては金持ちにスポットライトが当てられて、誰もが金持ちになろうとしていた。 最近は貧しい人間にばかりスポットライトが当てられて、自分も貧しくなるのではないかという不安が人々を動かしているようなきらいがある。 もちろんどちらが良いとか、昔が良かったというわけではない。自分は未来に生きていて、未来に飢えている。そのことがわかって、また一つ自分について詳しくなったのだ。
自分は未来をネットの中に見ていたから、ネットがいつしか現実と地続きになって未来らしさが無くなってしまったとき、自分の未来も同時に消え失せてしまったのかもしれない。 それ以来僕は、失った未来の幻影を現実のどこかに探し続けている。
幸いにも自分は、かつて自分に未来を見せてくれたIT業界の一端に立っている。だから自分もいつか誰かに未来を見せられるようになるかもしれない。それが希望だ。 自分で未来を作ることができなくても、視点を変えることでまだ見たことのない未来を見付けられるかもしれない。今のところ自分に刺さるような未来にはまだ辿り着けていないのだが。
それとも単に歳をとってしまって、感動が薄らいでしまったのだろうか。そうはなりたくない。