雑なメモ。
著名人が政権批判をしてそれだけで騒がれたのが記憶に新しいが,「ひとまず沈黙しておくべき」という「美徳」が薄れていって,「何か言ってもいいんだ」というふうに世の中が移り変わっているように思える。
日本ではよく沈黙の強要が行われる。詳しくないなら黙っていろとか,お前にそれを言う資格はないとか,そいういう諸々の形で沈黙を強要することで,議論の活発化を抑制する。それで自らを安心させてきたのだ。
特に政治とは皆のものであり,そもそも国民は主権者であるからステークホルダーなので,「いや勘弁してよ」とただ主張することも全然アリだ。というか国民でなくてもステークホルダーだし,ステークホルダーでなくても別に何言ってもいいだろ。「こうするべき」というオピニオンの提案と「俺は嫌だ/やってほしい」という賛否の表明は全く別の話だと思う。
「詳しくもないのに発言するべきではない」分野は無い。発言は自由で,それを(自らの責任で)無視するだけである。日本では発言することをあまり重く捉えすぎではないだろうかと思う。常に正しい事しか発信してはならない,というか,異質な意見が併存することを許容しない社会性があるというか。自分で考えて行動できないので,誰かの意見に全ての責任を帰せようとするという傾向があるように思う。
どんな事にも意見を発して良い事と引き換えに,情報の受け取り手にその責任が移ることになる。それがインターネット以降のスタンダードになるのではなかろうか。それこそリテラシーが求められることになるのだろう。
ところでよくある批判として「有名人が適当な政治的意見を言って扇動される人がいたらどうする」的な話があるが,それは聞き手を甘く見すぎではないかと思っている。こういう人たちは一般庶民を見下しているようなフシがあるのもなんかもやもやしている。人間はそんなにバカじゃないだろうし,実際バカなら教育して高めていくのが正道のはずで,分断するべきではない。
なんかまとまりの無い話になってしまった。