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京都在住Webエンジニアの日記です

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社会 自分 どちらが大きい 令和最新版

自分の世界があって、それを包括する形で社会という世界がある、つまり自分の世界は社会というより大きな世界の中にすっぽり包まれている、社会は自分の世界の上位互換だ、という感じで暮らしていると、社会に従ったことだけやったほうが良いみたいな感じになっていくと思う。すると、世の中の揉め事に自分が関係している気がしていたり、世の中の事件に自分が気分を悪くしたりすると思う。

ひるがえって、包含関係を逆転させてみるとどうか。自分の世界があって、その中に社会という世界がある、社会は自分の生活の一部であるというふうに考えると、社会によって自分全体が揺るがされることはないので、社会のいざこざとか、ニュース的なものに惑わされずに済むと思う。「自分の世界に閉じこもる」という言い方をすると悪いことをしているようだけれど、暮らしの主導権は自分自身にあって、社会が自分をコントロールするのはおかしいということもできるはず。

その一方で、ネットによくあるタイムラインみたいな表現形式は人間の世界に対する認知の様式をある程度規定してしまうと思っていて、タイムラインは自分の書き込みが他の書き込みの流れに組込まれて社会の一部であるかのように表示されるから、自分は社会という大きな組織の一部でしかないという見方を増強するのではないかと思う。実際は逆で、自分という暮らしの中に他人の書き込みも見られるね~、みたいな考え方をしたらよい。

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