Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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月報: 2023年4月

本来は週報をまとめて書くべきなのだが、中途半端な時期に始めてしまったので一気に月報を書く。 3月から4月まで溜めてしまった。

日記、週報、月報を書くと自分自身の思っていることを再構成でき、より洗練させ、発展の足掛りとすることができる。今のところObsidianのデイリーノート機能を使って書いていて、ほぼ毎日続いている。今のところ殴り書きレベルだが、いずれ慣れてちゃんと書けるようになるだろう。

やっていたのコーナー

  • AZIKの練習をしていた。元々AZIKは普段から使っているのだが、dfkfといった特殊入力の練習をしたかったらしい。今のところぜんぜん覚えていない。
  • [言語を生み出す本能]を読みだした。が途中で浮気して積んでいる。
  • スプーンとフォークとをハックマンというメーカーのものに買い替えたところ、大当たりして喜んだ。
  • 仲が良い人と夕食に行ったりしている。
  • 民俗学博物館に行った。大道芸をやっていて、千円あげた。知らない鳥がさえずっていて、自分は理屈をこねる割に鳥の名前も知らないのだ、と思った。世界に対する理解とは何なのか、と思った。まだ日陰では寒かった。
  • ScalaMatsuriの発表をした。腕時計を置いて発表したので、すこし駆けたが時間配分は完璧にできた。これに全力投球する暮らしになっていたので、部屋は荒れ放題になった。

健康

  • 良く寝ると仕事の調子が良い。あたりまえのことだ。他方、モヤモヤとした気持ちになったりして眠れないことがほとんどである。
  • 不眠症の薬をゲットしたが、薬と干渉してしまうのでグレープフルーツのゼリーを食べられなくなってしまった。飲むと12時間くらい寝てしまう。
  • 一人でPCをいじって固定的な姿勢でいるので、現実から抜け出して解離してしまう。身体を動かしたり、フーフー息をすることで現実世界に意識を引っ掛けることができる。

精神の安寧

  • なんとなく刺激を得るためにスマホを開いてしまうが、刺激にも有益なものとそうではない無意味なものとがあって、今は無意味な刺激にかまけて時間を無駄にしている、と書いてあった。それはそうで、例えば今は月報をまとめていて自分のためになる活動ができているけれど、不安をまぎらすためだけにネットを見てもどうにもならない。
  • 納得のいかなさがネットへの書き込みのトリガーとなるのだなという気付きがあった。だからメディア的には完全に納得させずに、敢えて一言言いたくさせるとか、炎上させるという手法になるのだろうと思った。とはいえ完全に納得いかなかったら無視されて終わるので、そこそこに納得させつつ、一言言いたくさせるように進化していく。政治的な話題は(納得しないから政治というカテゴリになっているのであって)そもそも納得するという概念がないので、永遠にバトルが行なわれるし、体調も悪くなる。
  • ニコニコニュースの記事についた差別的なコメントを見てめちゃくちゃに腹が立った。が、どうしようもない。コメントの向こうに現実の人間を想像してしまって辛いものがある。

善悪

  • 世の中の良からぬことに意識を向けると、精神が荒れる。しかし仕事でパワーを発揮するには仕事に没頭できなければならない。しかしやはり、ホームレス排除みたいな話を聞くと許しがたい気持ちになってしまうと思った。
  • 良いはずの世の中が良くなくて許せない気持ちになるのだなと気付いた。世の中が良くないのはいつものことだと理解して社会を受け入れ、その中でちょっとあがいてみる、くらいの気持ちでいたほうが、社会に対して怒り狂うよりは、生産的な態度だと思う。社会に夢を見すぎないほうがよい。つねに、自分以外の全てはどうにもできないものである。
  • 正義感は容易に暴走する、といったことが繰り返し書かれていて、たまにインターネット発の正義や憎悪の感情が現実の社会に飛び出て何かを破壊することを嫌がっている。
  • 自分は世の中に対して責任があるのだという思考を内面化しすぎだと思った。でもそれを突き詰めてしまうと全体主義なので、公私はそれぞれ持っておくのが良いと思う。
  • 挫折を幾度も経験しているので、教科書的な良い子的な物言いに反発心を覚える。よく考えると、それは社会をお手軽に変えようとしているか、それが出来ると考えてそうなところが嫌なのだろうなと思った。
  • 自分は育ちが良すぎるのか、純粋な攻撃がSNSにあることをすっかり忘れていたが、そういうカテゴリがあることを覚えておきたい。攻撃性という概念を手に持っておくと、「あの人は知識豊富なんだけど攻撃性がね……」と表現できるようになる。

主観客観

主観と社会の強力さとをどうフィットさせていけばいいかについて悩んでいる。全部世の中の言うことを気にするのも違うと思うし、自分を信じようよ!!主張していこうよ!!みたいなのも、なんか違うと思う。世の中の平均的な評価軸はおおむね正しいと思うけど、ネットで表出するそれはだいぶ狂っていると思う。

  • 自分の中の評価軸がなくて、他人にそれを譲ってしまいがちである。評価軸を売り渡すと、一生それに振り回される。でも、自分で評価をすることが恐ろしくて、大ヒット映画がつまんなかったとか書いたら炎上しそうだから書けない感じが、ものごと全体についてある。客観性が大事だという思考が強迫的にあって、本来それがそぐわない局面でも客観性みたいなものを持ち出してしまう。「納得とは、自分の行為である」と書いてあった。
  • 自分のことは自分で決めればよい、と書いてある。自分の決定と他者からの介入、それが裁かれること、について悩んでいる。ときおりインターネットでセンセーショナルに取り上げられる、「あなたが何かするだけで加害である」「男性であるだけで加害である」という思想に、思いのほか傷付いているのだなと思った。正しくないものを糾弾する空気が高まっている。一方、大抵のものはそこそこに不純物を含んでいる。
  • 楽しかったのに急に冷めて放り出してしまうことがある。自分が好きだという気持ちを正当化できなくて苦しんでいる。正しい方法で楽しんでいなければ無価値なのだ、という権威主義・集団主義的な娯楽思想に毒されてそうだなと思った。ひらたく言うと、決まりきった鉄道の写真しか認めない鉄道撮影趣味者のような態度になっているということ。インターネットで、娯楽を楽しむ水準が上がりきっていると思う。
  • 放り出してしまうとき、育てるという意識が抜け落ちていることに気付いた。ただ、うらやむだけなのだ。

決断

  • 理屈に絡め取られないようにしたい、ということを書いていた。色々な思想があるが、だいたいそれらの裏には依拠すべき正しさとか公理みたいなものがあって、そこからうまいこと論理を繰り出しているので、どれも正論に視えてしまう。しかし直感的な大前提があってそこから導出しているという視点があると、要するに何かの正当化をしたいだけなのだな、ということがわかってきて、霧が晴れる。
  • 意思決定に役立つか、という視点から情報を選別すると良さそうで、フィルターバブルとか思想から抜け出せなくなることを防げそうだなと思った。
  • 目立つことを行動原理にすると人生が破壊される、と書いてあった。
  • 世界に追い掛けられるような感覚になることがある。自分が資本主義の歯車としてぐるぐる回されるような感覚……しかし夜は万人に訪れ、万人が寝るのだから、寝てもよいのだという気付きがあった。

プログラミング・生産

  • 型クラスのシグネチャだけ見ると、型からは一見自明じゃなさそうに見える箇所があって、それがインスタンス固有の実装と呼ばれるものなのだろうなという気付きがあった。
  • 考えながら仕事をすると良い。
  • 次にとりかかるべき作業が明白かどうか?という問いは、理解の試金石となりうる。
  • 「理解すること」について学びを得たらしかった。わからないことを恐れて最初から読めなくなったりしていたことに気付いた。きっと理解できるはずという希望を持つことが大事だと当時の日記には書いてある。分かる分からないではなく、どのくらい成長するかな~みたいな気持ちが大事。加えて、書籍をいったん権威的に崇めてちゃんと読むことを大事にしたいと書いてある。
  • 遊びだとみなす態度が心理的障壁を下げることに気付いた。オマケとして、遊びで腹を立ててはいけないという論理が導出され、あまりどうでもいいことで怒らなくなった。

カテゴリなし

  • 差別的な用語を使うけれど特に信念もなさそうな人は、自分が悪者だと分かってしまうから差別をやめられないのだろうと思った。
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