今日は良くなかった。些細なことで声を荒らげたり、手が進まなかったり、まるで脳に感情の蛇口があるとしたら悲しみの部分だけ壊れて止まらなくなってしまったかのようだった。みっともない。
花粉の薬が終わり、花から土へ、山から砂漠へと心配事の主体が移り変わる。春霞という風雅な名前は露と消え、PM2.5というただの対象になった。
自分の振る舞いが良くない。良くしていきたいし良くしなければならない。しかしそれは結果で見せるしかないことだ。自分を信じて変わろうとしていくしかない。変われば分かってもらえる。
日記をこうして書くようになったことで、頻繁なごみ捨ては続けている。良いルーチンが固定されてきている。
堂々としなくなったと思う。心の何処かに後ろめたい気持ち、力になれていない苦しさがあって、ただ後ろから追い掛けるしかない。本当は前に立ってひっぱらなければならないはずなのに、と思う。無力感に頭を殴られ、期待に添えないことに胸が締め付けられる。
石楠花の花が咲いた。買ってきたときは蕾だったが、今は満開している。花とはコミュニケーションがとれない。ただ一方的に咲く花に、ただ一方的な水汲みをやっている。愛が相互の作用なら、花は群れとか大気圧とかそういうものに近い。
自分はどうしてしまったのだろう、と思うけれど、自分で自分を殻に閉じ込めているのかもしれない。
実家から結婚式で着たスーツが洗われて帰ってきた。実家から送られてくる服には、地元のクリーニング店のタグが付いている。
そんなに俺はどこかで傷付いているのか、と思う。なんでそんなに元気がないのか。何に苛立ち、何に復讐したいのか。何に決着を付けたいのか。何を卑下し、何に拗ねているのか。いつから私は私を嫌いになるようになったのか。