こういう記事は主にテクニカルな方向からたくさん書いてるのだが、たまには違う方向性のも書いてみようと思う。新聞の随筆くらいの気持ちでお読みください。
アウトプット、で過去記事検索したらこんなに出てきた。自分でもびっくり。まるでアウトプット博士だな(罵倒)
なんでこういう記事を書こうかと思ったかというと以下の記事に引用されていたため。
僭越ながら要約させていただくと、
- 情報の価値を低く見積ってしまう
- 情報の価値を上げづらい
- 情報の価値がインフレしている
というところだと思う(ここでモデル化を行い、独自の視点を提供している)。「こんなことみんな知ってそう」とか、「自分は検索時のノイズになってしまうんじゃないかという懸念」というのは、自分が書けそうなことの情報としての価値を低く見積ってしまう、というふうに整理できそう。 また「無限に推敲してしまう」というのは、自分が求める水準に到達するまで情報の価値を上げるのが大変、というふうに解釈できる。そして「世の中に良質な記事が多すぎる」「弊社のアウトプットを参考にしようとしてレベルが違いすぎて」といったあたりは、そもそも自分の周りにある情報の価値がインフレしまくっているので、割に合わない、というものである。
大前提
なんでそもそも人間が記事を書いたりするのかというと、情報があると嬉しいから。ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICONのアイスワームの倒し方の記事があると嬉しいのは、それを読んだら実際に攻略に生かしたり、単純に知的好奇心を満たせたりするから。すなわち、情報にはなんらかの価値があるということになる。
そして、今や情報化社会という言葉すら過去の言葉となるようなありさまで、あらゆる情報があらゆる場所に流れている。ひとたびAnkerのバッテリーが発売されれば、一瞬でそのレビューや紹介が出現する。そしてそれが消費される。情報の必要があったら、すぐにその情報が作られるといった有様で、これは一種の経済学的な市場を形成しているといっても良い。
なんで記事書いてるのか
精神論を書いてもアウトプットが良くなったりするわけではないが、根幹的なモチベーションの話をしてもよいだろう。
ひとりの人間から生成される生の情報にかえって価値があると信じている
太古の昔、キュレーションという言葉があり、反感や医療やモラルを巻き込んだ大きな戦争があった。富める者と退けられる者がいた。罵倒と訴状と処分とが飛び交い、戦争の果てにキュレーションサイトは全滅した。しかしまだキュレーションは死に絶えてはいなかった。亡霊はYouTubeへと戦場を移動させ、ネットの反応集や切り抜き動画という存在にさかりが付いている。
昔話はさておいて、もっぱら収入を得るために粗製濫造された、一見すると出来が良いコンテンツがあふれるのはいつの世も同じである。最近はLLMの勃興により、格安でゴミ・・・もとい品質がそれほど高くないコンテンツを量産できるようになった。最初は不愉快だったが、真面目に読んでも何の役にも立たないどころか大嘘だった、という体験を繰り返すうちに熾火から炎が上がり、許せねぇ、と思うようになった。視聴者や読者、あまつさえ専門家を、ナメているのである。しかし自分にできることはといえば、なんらかの意味で誠実な情報を残すことだけなのだ。そして、できるだけ誠実な情報とは一次情報のことである。自分が体験したこと、どのように思ったか、自分がつまづいた箇所、これ自体に非常に重大な意味がある、というスタンスがこの頃には固まっていた。医療業界ではメタアナリシス*1といった仕組みで医薬品の有効性を判断する、といったことをやっているが、こうした有用な情報を支えているのは莫大な数の基礎実験や医療従事者からの報告である。これがなければ、プロダクトの売り文句だけが一人歩きし、世の中は誇大広告にうずもれてしまうだろう。だから一人の人間として、素朴なtipsから体験談を、ポンと置いておく、ということを繰り返している。
存外、「ただあなたの事を知りたい」という需要はあるものだ。そこで下手に目立とうとするから叩かれたりするのであって、なんか素朴にやっているだけでもうまくいったりする。
最近肋骨が折れたのだが、肋骨が折れたというだけの話に6つもスターが付いているではないか。このことは肋骨にとっても慰めになるはずだ。だからといって肋骨を折ってはいけない、ということである。
カエサルのものはカエサルに
そもそもわれわれはインターネットに育てられたのだから、それなりにインターネットに還元してやるべきだろう、という思想もある。無償で情報を提供し、自分に知恵を与え、ソフトウェアエンジニアの末席に連なる道を拓いてくれたのは誰か?自明なことだ。 JavaScriptやScalaの良く分からないメソッドに注釈を与えてくれたのは、インターネットの他の誰かである。なぜ我々がやらないのか?
いちハッカーとして、有用だと思ったものは即座に還元するべきだと思っているので、情報をどんどん寄附する、というモチベーションで記事を書いているようなところがある。情報の有用性を判断するのは受け取り手であるから、細やかなことは気にしなくてもよい。誠実に書くだけでよい。
自分がやるしかなさそう
Scalaという言語が好きで、仕事で使ったり遊んだりしている。しかし爆大流行というわけではないので、公式資料や巷から得られる情報は限られている。ある物事について調べてみるが、悲しいかな情報がない、ということもある。または、情報はあるが英語圏にしかない、ということもある。
そういうときはもう自分がやるしかない。「調べたけどよう分からんかった。いかがでしたか?」みたいな情報も立派な価値ある情報である。ネットに溢れる「いかがでしたか?」と一線を画しているのは、その過程も余すことなく記載し、再現性と反論可能性を極限まで高めている点である。 なんでこんなことをしたいのか。何をやったのか。その結果どうなったのか。どの資料を読んだのか。そういうことを律儀に書いておくと、この資料を読むべきだ、ここの部分に事実誤認がある、この挙動に対する知識不足がある、といったマサカリを受ける権利が得られる。 マサカリは、知識の補完である。マサカリは、あなたをいじめたいのではない。自分は多少傷付いて嫌な気持ちになるかもしれないが、ネット全体としてはより良い状態になっているはず。誠実に書いて誠実なマサカリが飛来するのは、健全だ。誠実に書いたのに不誠実なマサカリが来るのは、武士の誉がないことだから、誉がないなあ、と思っておけばよい。そういうのは案外周りが覚えている。
自分がやるしかない場合の転回形として、情報輸入業者になるときもある。つまり、既に英語圏にある情報を焼き直して、こういう資料があるようだ、と紹介するだけである。例えば昔書いたOpticsの記事はこのパターン。
文字をそのまま持ってきたり勝手に翻訳したりするのは義に反する感じがあるが、ちゃんと紹介するのはむしろ誠実である。要するに自分が欲しかった情報を、過去の自分、あるいは未来の自分に向けて残しているというだけ。
情報の価値は案外高い
情報の価値を低く見積ってしまう、という話を最初にしたが、これについて考えてみよう。一次情報が貴重で尊いものである、という話は先程した通りである。例えば、あるライブラリやプロダクトの開発者が知りたいのはそうした一次情報からなるフィードバックである。 そして、自分みたいな人間は割といる、という事実に耳を傾けるのがよい。平均的に、われわれは平均的な人間であるはずだ(トートロジーな感じがするが)。平均的だということは、正規分布の真ん中らへんにいるということである。すごく、自分と同じような人間がいる。
割といるということはその分価値がないのではなく、それだけ刺さるターゲットが広いというめでたいことである。こと情報に関しては、消費者よりも生産者のほうが圧倒的に少ない。本当にみんなが同じようなことを書いているのであれば、アクセス数のぶんだけ記事が出現しているはずだが、本当にそうなら自分はこんなに苦労していない!
また逆に、あなたが平均的な人間ではないとする。つまり、とんでもなく先端を走っているか、とんでもなく遅れているかだ。しかしそういう人の情報にも圧倒的な価値がある!それは単に珍しいからだ。
だから、書くとよさそう。
情報の価値はなんか割と上げられる
現に今自分は他人の記事に便乗することで自分の情報価値を大きくしているわけだが、こういうふうに情報の価値を上げる方法は割とある。しかもセコい方法ではなくて、ちゃんと正統派なやり方で。
最初のあたりで、情報は市場として成り立っている、という話をした。ということは、ある程度市場原理が働く。つまり貴重な情報の価値は上がり、そうでもない情報の価値は低いままとなる。したがって、なんらかの意味で希少性を上げると勝手に価値が上がってくれる。 例えば自分の場合はScalaの話をウンザリするほど書いているが、日本語でScalaの話をしている人間なんてバス2〜3台に詰め込めるくらいしかいないであろうから(本当に?)、もうこの時点でニッチ戦略が成立している。 また、ウンザリするほど書くことで「たくさん書いている」というドラがさらに載る。しかも、勉強会をやったりしてなんか偉そうなポジションを演出している。宣伝にも余念がない。こういう強みのチェーンが成立することにより、容易に真似できない状態が形成される。
他にも、ドカ深掘りする、という戦略もある。例えば
id:susisu はTypeScriptを滅茶苦茶深く掘った情報を提供することで、良質な記事になっている:
普通の人間は、やりたいことを達成したらそこで調べるのをやめてしまうが、もう一つ二つ突入して調べてみたりすると、いとも容易く情報の価値が上がる(調べるのが容易だとは言ってない)。結局脚と汗で稼いだ情報が良いのだ。 得意なことであればそこに戦力を集中することで、強みが価値に転嫁する。
また、カンファレンスで発表するのも良い。こういうことをしていると、良い情報を出しているな、という評判が立つ(こともある)。そうなると評判が評判を呼ぶ状態となり、情報の価値が水増しされる。 単に長くやっているというだけでも良い状態になっていくので、とにかく継続するのが良い。このブログは2011年からやっていて、もう何を書いていたのか覚えていない。
・・・という感じの話が『良い戦略・悪い戦略』という本に書いてあるのでみんなで真似しよう(受け売り)。本を紹介してくれた
id:ymse にBIG 感謝・・・
情報はインフレしているように見えるが、全体で見ると情報の価値は下がっていく
ClaudeとかGPT-5とかで検索してみてほしい。もう訳分からんくらいの量の情報がある。情報の価値という観点に絞って言えば、ここに新規参入するのは(よほどの強みがない限り)よしておこう。といっても、こうした情報はあと1年もすればネットの肥やしになる。即座に無用の長物になるのだ。 基本的に、ワッと盛り上がるようなコンテンツはだいたい賞味期限もすぐ切れるようなタチのものが多い。こうした情報に限らず、情報というものは徐々に価値が下がっていくのが普通だ。こうした情報は個々の鮮度が命なだけに、シナジーを生み出しにくい。
対照的に、枯れにくい話題もある。TCP/IPとか、Linuxの基本、RDBMSの内部といった話はそうそう変化しない。普段の暮らしでこのレイヤーに到達することはあまりないだろうが、こうしたエッセンスを記事の中核に練り込んでおくと長持ちするようになる。 また、メタな話として、良く正しい日本語を書くとか、良質な構成をする、という技量はそうそう古びない。
ちなみに自分のブログで最も長く愛されている記事はこちら・・・
建栄製薬が製品ラインを大更改するか潰れるかしない限りは、この記事は愛されることでしょう・・・
ネットの知らない人間にドツかれたら
インターネットをやっていると、5秒で考えたみたいな的外れどころか隣の人間を射貫いているみたいなコメントを書いてくる知らない人間に遭遇することでしょう。
本文で引用しましょう。ちゃんと本文読んだらそうはなりませんよね?とドツくと、だいたいおとなしくなります。二匹目のドジョウみたいな意志薄弱な人間が追撃してくるのを防ぐという効果もあります。
ジャングル ヤッタラ ヤリカエサレル ジャングル オキテ アル・・・
*1:ぶっちゃけ良くわかっていないが、複数の研究を同時に統括して判断する、というメタな研究過程だと承知している
