私は対外的に私のパートナーのことを「ピ」といったり書いたりしている(それが可能な場合)。パートナーというとなんだか堅苦しい役所的な感じがする一方、ピは愛情豊かである。たった一文字なので、これも便利である。
ピには、インターネットや現実世界でお得な様々なメリットがある。
その性を問わない
男性から女性、女性から男性、男性から男性、女性から女性に対して利用可能であるし、もちろんその性別に当てはまらなくても利用できる。つまり、この単語には相手や自分の性別を開示する要素が付随しない。
そのセクシャリティを問わない
ヘテロセクシャルでもバイセクシャルでもホモセクシャルでも利用することができる。つまり、この単語には自分のセクシャリティを開示する要素が付随しない。
そのジェンダーを問わない
シスジェンダーでもトランスジェンダーでも、また、男性的ジェンダーでも女性的ジェンダーでも利用することができる。つまり、この単語には自分のジェンダーを開示する要素が付随しない。
その年齢を問わない
子供が使ってもいいし、若者が使ってもいいし、中年が使ってもいいし、老人が使ってもいい。また、年齢の関係も問われない。
その法的婚姻関係を問わない
彼氏彼女の状態であっても、法的な婚姻関係がある状態でも利用できる。
居住の実態を問わない
同居していても、別居していても、たまに一緒に住んでいても、近距離でも、遠距離でも、利用できる。
人じゃなくたっていい
よく考えると、ピは人であることを問わない。ぬいぐるみがピだっていいだろう。
ピは優しい
インターネットにものごとを書いたりするとき、また現実世界での会話において、不可避的にプライベートであるべき(そして、それは時にマイノリティである)要素が表出してしまうことがある。
たとえば、彼氏と書くとその相手が男性であることが自動的に確定してしまう。ときとして、男性がそれを使用することで自動的にゲイであるということまで式が展開されてしまう。ルービックキューブのように、関係ない要素まで巻き込んでしまう。
ほんらい、話したかったことは自分が好きでいて愛している存在のことであって、そのありようが他人と比べて社会的に脆弱であることまで開示されるべきではないし、いきなり知らされても困ってしまうだろう。また、社会的に脆弱であるということは、毎回毎回ぶしつけな質問を喰らったりして、身をこなさなくてはならないということでもある。無から生まれる、無用な苦労である。
われわれは最大限相手のことを尊重して社会をやっていきたく、そのためには世の中に余裕を作る必要があり、そのためには適度な距離感が必要で、そのためには適度な距離感の言葉が必要である。それがピ。ピから推論できるのは、そいつを好きで愛している、いい感じの相手だということだけである。
われわれはあくせく他人を詮索して知る必要もない内面を土足で覗き、勝手に馴々しく他人との距離を詰めては、あいつら変だぞ、俺たちの暮らしを壊そうとしているぞ!と驚いてしまう、まことに身勝手な生き物である。われわれは社会をやらなければならない。社会とは本来的に異物でしかない他人とうまく人づきあいをやっていくことであって、正解を決める作業ではない。