まずはこれを.
息子さんがYoutuberの動画を真似したら,事故一歩手前まで接近してしまったということだ. はてブも500を越えており,事故を起こしやすい時代への危機感を表明する声や,Youtuberに責任感を求める声が挙がっているように見受けられた. 僕は,この記事を読んで疑問が浮かんだ.これからどうなるのだろう,これからどうしたらよいのだろう,と.
ネットは自動車と同じ運命を辿るか
スマホが登場してからというもの,ネットにまったく触れずに過ごした日が何日あるだろうか. ネットはもはや文明的インフラの一部と化していて,嘘を嘘と見抜けない人もネットに頼っていくしかないほどネットは浸透している. その危なっかしさがいくら深刻でも,この流れにはもはや抗うことはできないだろう. ネットは既に社会という水溶液に溶けてしまったので,社会はそれを前提として反応していくのみで,一度雑ざったものを掬って捨てることはできないからだ.人々は,ネットを受け入れてみずからが変容していくしかないわけだ.
ネットは社会を大きく変えてしまう劇薬であった.同じような運命をたどった物質に,自動車というものがある. 自動車も事故を起こし,人を死に至らしめ,無責任な運転が糾弾され,賛否の声を浴びながら社会を支えてきた. 自動車は今どうなっている?免許が無ければ乗れなくなった.個人が特定できるようになった*1.税金が課せられた.そして,自動化が目前に迫っている.そう遠くない未来に,ネットも同じ帰趨を迎えるだろう.
そもそも国家の手によって自動車に制約が課せられたのは,自動車が必要だったからである. 日本で初めて自動車免許が導入されたのは,日露戦争開戦の前年にあたる1903年で,富国強兵の時代だ. 日本が発展し時代に取り残されないためには,どうしても自動車は必要であった. 使わざるをえないから,未熟な人間が事故を起こさぬように免許制になったのだ.
とほうもなく大きく精緻な硝子細工
現代の経済や政治は,ネットが決定的な役割を果たしている.ネットを使っていかなければ競合他社に,他国に,出し抜かれて敗北してしまう. ネットがただの技術ではなく,競争の道具となったことで,ネットは個人や企業をより密接に結び付けたのだ. だがしかし,密接ということは強固ということを必ずしも意味しない.社会は強固にではなく,より精緻になったのだ.
自動車の例を思い出してほしい.もし大災害で日本列島間の陸路がいくつか寸断されたら,その向こうは何日間持つだろうか? ひょっとしたら数日ももたないかもしれない.既に社会は自動車を使った陸運によって物資輸送が効率化されているので,もはやそれ抜きでは維持できなくなっているのだ.効率化とはものに割り当てるリソースを省いて別のものに割り当てることにほかならない. そのような効率化が行われた状況下では,ささいな打撃を加えただけで社会は瓦解してしまうのだ. 現代社会は,きわめて微妙なバランスの上に成立している,生きた硝子細工だ. そして野放図な自動車の運用は硝子細工にいともたやすく打撃を加えてしまう. だから免許があるし,責任を問うためのナンバープレートがあるし,その費用を支える税金がある.
ネットが溶け込んだ社会のこれから
自動車と同じように,ネットは社会にどんどん依存されていくだろう.気付いた時にはネット抜きで社会が維持できなくなっている. そのような精緻を極める現代社会において,ネットも硝子細工の一角を成していると皆も気付いているはずだ. 震災時のデマは簡単に人々を混乱に陥れたし,ネットで誹謗中傷を受けた人間が自殺したこともあったし,どこかに書き込まれたヘイトスピーチが深刻な憎悪を生み出している.今ですらそうなのだ.これからのIoT(モノのインターネット)の発展は,社会のネットへの依存傾向に拍車をかけることになるだろう.だから免許が生まれ,責任を問うために実名制になり,料金に税金が上乗せされるようになるのではないかと僕は思っている.
By User:Ludovic.ferre - Internet_Connectivity_Overview.svg, CC BY-SA 3.0, Link
インターネットの接続図
だが全く自動車と同じようになるとも思っていない.ネットには自動車にはない特性があるし,自動車もさもありなん. ネットはより多彩な変容を遂げ,社会に溶けこみ続けるだろう.そうなった時に社会がそれをどのように受容し,依存し,共存していくか,これから楽しみだ.
*1:ナンバープレート