著者はそんなつもりはなかったであろうに突然脚光を浴びてしまい,「ポエムじゃん」みたいなくさし方をされているようなエントリをたまに見掛ける. かわいそう.こっそり絵を描いていたノートを誰かに取り上げられているようだ.僕もそれで絵を書くのをやめてしまった.悲しいね.
いまどきのプラットフォームでは,ネットに発表するとき,そのソースから本人を参照することができるのがふつうになっている.だから引用から辿れるし,リンクがあればそこに行けるし,会話ができたりする.まあ,あたりまえだ.それがネット.
ネットの青い空
ところで僕の隣には風呂場で歌う人が住んでいて,あまり上手ではないので最初のうちは迷惑がっていたが,最近はそれに深みがあると思うようになった. あるひとが風呂で歌うとき,誰に聴いてほしいわけでもないはずだ.しかし歌っている本人は,どこかに向けて発信しているという感覚を楽しんでいるはず.あえて聴き手を想定するならそれは空で,空に向かって独りで野山をくちずさむのと同じような体験をしているはずだ.そういう舞台が,今のネットには用意されているのだろうか.
誰も見ていないかもしれないことが大事な要素になっていることがあると思う.自分の知っている近しい誰かには返事をしてほしくないときがきっとあるのだ.あらゆるコンテンツにURLが紐付いているインターネットには,それがわからない宿命があると思う.何かを投げれば,誰かに拾われてしまう.なんでも受け入れる広く青い空がネットにあるだろうか.そういう背景があって,ひとりぼっち惑星といった存在がうけたのかもしれない.「これはポエムです」というまどろっこしい予防線は,青空を求める心の声だと思う.
"正しさハラスメント" についての気持ち
まあそれはそれでおいといて,技術的な事柄に間違いがあってはいけない.「食べ物は胃が消化します」みたいな簡略した記述*1は,相手が一般人だからこそ許されるのであって,技術エントリは,技術者に向けられている以上,間違いがあっては困る.初学者が読むかもしれないからだ.一度書いたものは永遠に残るし,それにもとづく知識が広まったらいよいよ取り消すことができなくなる.技術エントリは,判断の材料になってしまう.だからこそ間違いはきちんと正されるのだ.
これはポエムです.
cf.
*1:この「簡略した」記述自体,正確ではないと思うけれど,これは技術エントリではないので許してほしい