とかく焦りがちである。
昔はこういう焦り方はしなかった。競争相手もいなかったし、追い付かれそうな恐怖とは無縁だった。学校にもどこにもプログラミングができる人間はいなかったし、知っている人間がいれば教わりたいくらいだった。
しかしながら焦るようになってしまった。周りの技術が優れているから、それに早く追い付かなければ、という気持ちになるのだろうか。だんだん職業エンジニアとしての進路を意識しだした頃からである。このくらい誰にでもできる、というような気持ちになっていった。エンジニアならできるべきnつのこと、みたいなエントリを読んでは、中途半端に全部一気にやろうとして失敗した。
考え方を改めるべきなのだ。純粋に覚える喜び、知識の喜びに回帰するべきだ。下心を出してはいけない。おもしろいからプログラミングするのだ。
メッセージボックスが出たのも楽しかったし、LEDをチカチカさせたりするのも楽しかった。それだけのためにSH7144Fマイコンを使ったのはバカげているかもしれないが、それで良かったのだ。2ch互換掲示板をP2Pで作ったのも良かった。初めてGithubでスターをもらった日。もちろん冗長性のかけらもないP2Pモドキだったけれど、自分が書いたソフトウェアを初めて他人が使ったときの不思議な気持ちは忘れられない。
で、いつのまにか職業としてソフトウェアエンジニアを志すようになっていた。それ以外の仕事をしている自分があまり想像がつかなかった。しかしながら数学はさっぱりできないし、文系卒で文系の学科に入った。 そんな中でソフトウェアエンジニアになるために色々な文献を読みあさったが、ピンとくる感じがしないまま卒業した。今思うと、大人になろうとしていたのかもしれない。
就職しても自分は最初からスタートラインの後ろからの出発だったので周りに追い付けないし、1年が経つ頃には後輩も入ってくる。今さら何でも聞けないような状態になっていた中でどんどん焦る。もうみんな知ってんだよ、というプレッシャーを感じてしまう。 すると覚えるのは苦痛になる。自分は自分というポリシーが負けそうになっていた。
プログラミングを初めたのは純粋に楽しいからだった。思った通りに機械が動くのは楽しい。今ではもう慣れきってしまっているが、実はすごいことだ。そういう喜びに回帰するべきだなと思った。覚えるのは楽しいのだ。
何になる?新規性は?無駄では?ウケるの?誰でもできるよ?と言うもう一人の自分がいる。自分を商品にしてしまう。これができるようになった!という主体的な喜びではなくて、誰かに認められる、価値が生じることへの喜びにシフトしてしまっていた。これじゃいけない。
普通になるために学ぶのではないのだ。普通の会社員なんか嫌でエンジニアになったのに、これでは自分から進んで普通になりに行っているではないか。自分にスキルが追加されていくと考えてみるのはどうだろう。あくまで自分は自分。 そもそも全く新しいことをやるのではなく、既にあるものに何かを付け加えていくという方法もあるではないか。便利なプラグインを書くとか。
高校のときにひどく数学が苦手、というか好きでもないものの勉強ということが全般的に苦手だったけれど、学校はそういう人間には容赦なかったので、普通にならなくては、人間にならなくてはという気持ちでいた。 で卒業してからは、もう学生じゃないんだぞ、お前は社会人になったんだぞ、学生気分じゃダメなんだぞ、責任を持て、大人になれというプレッシャーを自分に与えてしまっているような気がしてならない。大人ってなんだよ。 プライドだけ高めてしまっただけなんじゃねえのか。前を向いていた子供は大人になると下を向くようになってしまう。下も見るけど、前を見なくては。教えてください!勉強してます!と素直に言えるようになろうか。