生活をどんどん均質化していきたい効率化していきたいみたいな欲求がある一方で、そういうことをしていると生の喜びがどんどん消えていくみたいな側面もある
— '() (@windymelt) 2022年2月13日
効率化に喜びを感じるという方向性に行けばよいという説もある
— '() (@windymelt) 2022年2月13日
ソフトウェアエンジニアの基本的な習性として、効率化とか均質化、システム化が好きだったりする。自分もだいたいそうで、照明とかを自動化したりして喜んでいる。
その一方で、効率化を突き進めた先に何があるのか?という問いにぶち当たる。 効率化といっても精神的な限界があるはずで、適度なところで止める必要がある。さもなければベッドに寝転がって管に繋がれて生きる、効率的だ!!みたいな感じになってしまう。
効率化といってもあまり興味がなくてどうでもいい、といった分野について効率化をやったほうがよくて、効率的に趣味をこなすみたいな状態になると困ったことになってしまうと思う。
エンジョイのための効率化という大前提があって、そのために効率化を行うことにしたい。自分は効率化みたいな概念を見ると強迫的にそれを突き詰めてしまうのでほどよい所で止めなければならない。何事にも限度ってものがあるけれど自分はなぜか極限状態をすぐ考えてしまうから困る。人間は愚かではないはずだから、やりすぎたと思ったらすぐ戻れるはずなのだけれど、自分は人類は突き進むものだと考えてしまう。
コロナ大時代なので積極的にエンジョイをしていかないと精神がぶっ壊れてしまうからどんどんエンジョイする必要がある。
とはいえ、人間は何にエンジョイするのかというとだいたい謎の行為で、コーヒーを淹れるとか観葉植物を育てるとか料理をするという感じで、本質的な意味はないので効率化も難しい。
このように、自分は何かにつけてそれ意味あるのかなぁと考えてしまうので困っている。人間よりも機械に近い状態になっている。文字があるとどんどん読んでしまう。あらゆる文字をどんどん読んでしまう。ちょうどよさが良くわからない。反射的に読んでしまうので困る。最近は部屋から文字情報を減らそうとがんばっている。