腕時計を購入した。今時スマートウォッチを購入する人のほうが多いかもしれないけれど、自分は機械式の時計にした。
ダイヤル盤に非常に細かい同心円状の溝が掘られているのがお気に入りだ。太陽光を浴びると、光が散乱してグレーに見えるし、サファイアガラスが屈折して虹色の模様を映し出す。時計ってこんなにキラキラするのかと思った。たいへん格好良いので、つけているだけで単純に嬉しい。
合理的にソフトウェアを設計していく仕事をしているかたわら、"ムダ"なものを大事にして生きていたいと常日頃から思っていて、そういう個人的な思想の表れという感じでもある。そんなん無駄でしょと言われたときに、そう、無駄ですが何か、と言ってしまえるようことも時として大事な気がする。これはただの道楽だ。こういうモノを買う人の気が知れない、と臆面もなく言ってしまえる人への抵抗でもある。
別段時計がなくて困っていたというわけでもない(スマホがある)のだが、とはいえ時間を確認するためだけにスマホを取り出さなければならないのも何か気に入らないところがあった。 暮らしの大半をスマホに支配されているようで、そこがなんか嫌であった。時間一つすらスマホの助け無しには知ることができないのか、と思った。革新的ツールであったはずのスマホが、支配のツールになっているような気がする。 (いつも自分は何かに反抗しようとしている。)
そういう煮えきらない状態でいたとき、ある日突然ふっ切れて、まあいいかと思って時計屋に行ってそのまま買ってきてしまった。後悔はしていない。現金でも良かったが平準化したほうが良かろうと思い、分割した。無金利ローンだったのでまあ良いかと思っている。人生で二番目に高い買い物になってしまった。一番高かったのはバイクだ。
腕時計というものは、時間を知らせる装置でありながら、特に機械式はその仕掛けは長いこと変化していないというのがなんか逆説的で面白いと思う。10年後の機械式もだいたいこういう感じだろうという変な安心感がある。 自分はウェブ系のソフトウェアエンジニアなので、どんどん変化する世界で暮らしている。そんな中で、まったく固定的な装置で時間を知っているというのが面白いと感じる。同様の理由で、パイロットの万年筆をずっと使っている。 ノスタルジーに浸る人間になってしまったようで一種のものがなしさもあるのだが……。枯れた堅牢な技術という意味ではこういうガジェットも悪くないと思う。
使って分かった面白さとして、充電が不要という点がある。令和の世にあってはあらゆるガジェットは充電を必要とするのだが、この時計はオートマチックなので身に付けているうちに勝手にネジが巻かれていく。自分はあまり動かないので寝る前に20回ほどリューズを回して「充電」しているが、十数分の充電を当然のように要求するガジェットに慣れた目線からはずいぶんとエコに見える。
当然、通知を受け取ることができない。ペアリングができない。歩数を記録できないし、夜光らない。
以前にもまして、世の中は役に立つものだけを求めているようだ。なにかを売り出すときも、何かの役に立つことが最大の売り文句だったりする。効率化の夢を信じている。そういう流れに刃向かってみたいわけだ。自分の人生に仕事以外という概念が生まれたのが面白いと思う。