Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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エンジニアの生産性を支える楽観主義

あなたはポジティブっつー言葉は好きですか。自分はそんなに好きじゃない。好きじゃない人に読んでほしい気がする記事。

自分はひねくれているのでポジティブという言葉があまり好みではない。精神論っぽいし、どうしたってポジティブにならない物事もあるからだ。たとえば人が死んで落ち込んでいるときにポジティブになれというのはもはや無謀だ。ポジティブという言葉には価値判断が練り込まれている。だから無闇矢鱈にこの言葉を使っても現状を歪めるだけになる。現状を歪めるとおかしなことが起こる。だから好きではない。

とはいっても、ポジティブであったほうがよいのは確かだ。

そんな中、楽観的(optimistic)、だったらすごく便利そうだなと思った。これは現状に対する価値判断を含んでいない。現状を肯定した上で、じゃあどういう態度を取りますか?という言葉だ。

そもそも楽観的とはなんなのか。自分だったらこう考える。暮らしのレイヤーにおいて、楽観的とは将来の自分や他人を信頼することである。人間の悪意よりも善意や有能を期待するという態度。暮らしのレイヤーでは楽観的であったほうがよいと思う。というのも社会はそういう前提で運営されているから。

じゃあどうして楽観的でない状態、つまり悲観的になってしまうのかというと、自分がソフトウェアエンジニアだからだと思う。

エンジニアは楽観的判断と悲観的判断のはざまを往復運動する生き物だ。ユーザの入力は信用してはいけないので悲観的に設計する。型チェックが通っている箇所は信頼してよいので楽観的に実装する。データ量はたいしたことがないので楽観的にデータ設計する。外部に公開するAPIなので悲観的にセキュリティを設計する。といった具合に。

そうやっていると、皆楽観的に振る舞うのが普通になっている暮らしに対しても、悲観的に認識してしまうクセがつくことがある。災害時に他人は助けてくれないのではないか。政治家は我々を常に裏切るのではないか。預けた金が失われるのではないか。店員は美麗字句で自分を騙していて、ひそかにほくそ笑んでいるのではないか。そういう発想に飲み込まれることがある。

エンジニアとかプログラマがうつ病になりやすいというのは、この部分が関係しているのではないかと思う。

他方、エンジニアらしさが暮らしに面白い影響を与えることもある。変なガジェットを作ってみたり、自動化してみたり。そういう良さを発揮する土壌は楽観主義なのではないかと思う。楽観的でいることで、発想がどんどん膨らむ。楽観的でいることで、作り続けられる。楽観的でいることで、自分を救うために何かをやり続けられる。それが一番幸せなことだ。

sizu.me

インターネットはあらゆる物事に対して言及する事を可能にした。しかしそれは情報の濁流であり、どちらかといえば、悲観的な情報のほうがシェアされやすい。どちらかといえば、ある主張をメタる主張のほうが勝ったとみなされやすい。どちらかといえば、こんなものは無意味だと断じるほうが、盛り上がりやすい。そういう環境で長いこと過ごしていると、だんだんエンジニアとしての自分から、楽観主義が抜けていくのを感じていた。

でもなんかよー世の中を†生き†ていくのは楽観主義だと思うんだよな〜〜〜

悲観主義がはびこりやすい世の中だけど、楽観主義がエンジニアの生産性とか、ひいては暮らしの楽しさとかを形作ると思うんだよね。 ふと悲観的になってしまいがちだけれど、暮らしではそういうのをやらないようにしたい。

特にオチはないです

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