常識は疑うほうが良い、みたいな妙な思考が頭の中にあって、何かを考えるときに無駄に根本的な所から考えてしまう。
- 例: 上の階がやかましいようだ
- 考える: そもそも夜間に振動を発生させるという行為に対する考え方は歴史的にどのように発展していったのか……
- 普通こう考えたほうがいい: 管理会社に言ってみるか
まったく無駄である。しかしなんか哲学的に考えたほうがカッコ良いみたいな謎のアレがあり、脳を無駄にしている。そのほうが言葉がポンポン出てきて面白いのだが、別にそういうことは既に世界のめちゃくちゃ賢い人が既に通過済みである。
既に通過済みのパッセージを通ったところで劣化版の思考が、再生産されるだけだ。劣化してるので使えないし、再生産しているので無駄なだけだ。
良い書物はイシューに到達するまでの思考の過程をちゃんと再現してくれる。良い書物は基点となってくれる。良いとされる書物を信じたほうがいい。
無駄なことを考えないほうがよい。考えないのではなく、無駄を省く、これが賢いということである。深く考えないのではない。既に踏破されている部分は素直にレールに載って、レールの無い所まではタダで移動してきて、そこで自分のやりたいことや為したいことのために考える。
既にあるレールとは書物や潮流である。考えた人がいるから書物がある。変化があるから潮流が生まれる。ちゃんと理由がある。なんでも疑う人間は、それを理解して手札に加えることができない。手札に加えてから捨てればいい。
それなのに、自分は、なんでもゼロから考えたほうが偉いのだと高を括って耳を貸さない。その結果、大したところまで行けない。他人は、さほど労力をかけずに遠くまで行く。それを見て嫉妬する。愚かだ。
優秀な人間は人間が優秀なのではなく、優秀な手段を利用しているから優秀なのであり、その手段とはなるだけ遠くに飛ぶために無駄に考えないことだと思う。