自分は考え事とか悩みとか問題意識みたいなもの、十把一絡げな言い方をするとモヤモヤを風呂とかベッドとか翌日に持ち込みがちであった。ネットで見てなんか引掛かっている言葉、この先どうするのか、知人がどんどん結婚していく、自分にはどうしてこれができないのだろう…………といった、大小さまざまな概念を突然風呂とかで思い出しては、漠然とイラッとする、という暮らしをしていてQOLが低かった。
しかしある日「別に持ち運ぶ必要はないな」と感じた。モヤモヤを持ち運んでも、あらゆる場所で不快な思いをするだけだし、しかも一向に問題は解決しないのだから、得するところが無い。だからモヤモヤをふりきっても良さそうだと思った。本当に必要ならまた問題として目の前にやってくるはずだし、実際に目の前にある物事に集中したほうが効率が良い。自分は人生の効率にこだわるような性格ではないし、日々の出来事を楽しみたいタイプなのだけれど、そうはいっても毎日精神的な損失を生みながら暮らしていくつもりはない。
自分は昔から、問題をつねに考えていなければならない、アンテナを張っていなければならない、改善を志向しなければならない、という意識が根強くて、なかなかリラックスできないタイプであった。 なぜそうなったのかはよく分からないが、実家にちょろっと自己啓発的な本があって、自分は本の虫なものでそういうのも勝手に読んでいた結果、勝手に意識が高まり、自罰的になったのかもしれないなと推測している。 加えると、その昔まとめサイトが流行っており、そういう場所では一概にニブいとされている人間や非効率な概念は小馬鹿にされがちであったから、普通こうあるべきだよね、といった規範意識が醸成されたのかもしれない。 まあ本当のところは何もわからない。あと過剰に他人に感情移入してしまうという問題があって、これは困っている。
だがそういう「なんか問題だと思う」レベルの物事に脳のリソースの一部を常時占有させるのはまったく非効率だし、もっと強い言い方をすれば無駄である。無駄という言葉、Twitterのイケイケコンサルタントみたいな人が常用しているのであまり好きではないのだが無駄というほかない。「実は無駄ではないのではないか?」みたいな思考に脳が埋め尽くされるのは嫌なので、うまいことフィルタリングしたい。
まとめると、大抵の事はわざわざ考えるべきことではないし、感情的になるなどもってのほか、自罰的になる必要なし、赤の他人とではなく自分と付き合うべし、という感じ。