こういうツイートを見た。
少し違う話だけど、
— ふーてん丸 (@huutenenigma) 2024年3月15日
目に見えるものすぐ口に出す私もこれにうんうんと頷きつつ、逆に「今日の富士山はキレイだね」と隣で言われると一言目に「そうだね」を返せない。
「今日の富士山綺麗だね」
「どこが?」←これで反感買う。
私の予想する相手の答え例「雲が無くてハッキリ見えてる所が」 https://t.co/Q2BlshhAxZ
kwsk
— すあま (@suama13) 2024年3月15日
ってインターネットスラングの中では珍しく敵意の無いものだったんだな。 https://t.co/m7FCoezS9X
思考の過程を掘り下げたくて理由を聞く、というのはわりとよくあるコミュニケーション様式である。日常でもよく使うし、仕事では実際にそれを聞くのが大事なので、もっと使う(それはそうと、あくまでつねにニコニコしながらやらなければならないと思う)。その一方、だいたい、あまりよく考えずになんとなくそう思った、くらいのテンションのときは、なんで、どこが、と言われると答えに窮してしまうし、痛いところを突かれたような心地がすることもある。
それとは別に世の中にあるコミュニケーション様式として、婉曲的に相手に意図を伝達するというのがあり、その派生として、理由を聞く形式で間接的に糾弾するというやつがある。答えられない疑問を突き付けることで非難を行うというタイプのやつであり、「どうしてこんなことしたんだ」とか「これのどこがいいんだ」という表現が典型的である。 自分は問い詰めるタイプのコミュニケーションは苦手だし、文字通りのコミュニケーションが基本的に好きなので、あまりこういうコミュニケーションはやらない。やられると、「わかって言っているくせに」と思ってしまうからである。
それはそうと疑問形で間接的に強勢を表現するのは世界的にもありふれているので、別に否定するほどでもないのだが、どっちなのかを判別する必要があるし、人によっては表情が乏しいのでどっちの意味で言ってるのか分からなかったりする。
とはいえ、素朴に理由に興味がある場合が多いと思う。上掲されている「kwsk」もとても良いと思う。はてなで働くようになってから覚えたコミュニケーション(はてな用語?ひとでさん用語?)として「その心は」と書く/訊くというのがある。
その心は
「その心は」という単語には、特に相手を責めたり問い詰めたりする印象がない。なぞかけ的な雰囲気がある。言いやすいし答えやすい。消極的な要素よりも、積極的な要素に目を向けやすい気がする。「その心は!! 」って怒る人をあまりイメージできない。
- 「ここはReactにしました」
- 「その心は」
- 「そこまでこだわりがなかったのでいったんこうしてる」
- 「その心は」
- 「○○(芸能人)がかっこよかった」
- 「その心は」
- 「手が良い」
- 「その心は」
- 「山が綺麗だった」
- 「その心は」
- 「雲が綺麗にかかっていたから」
- 「その心は」
コミュニケーションに正解の型なし
SNSでこういう話題になると、唯一の正しいコミュニケーションの様式があり、それを遵守すべきである、という方向になりがちである(なぜならオタクは正解が好きだから)。とはいえ、コミュニケーションは一対一、もしくは一対多、または多対多のものであって、イシューとなっているのはまさに今向き合っている相手なのだから、うまく適合するコミュニケーションをとったほうがよい(まあそれが難しいねんけどな)。見たものをそのまま報告するタイプのコミュニケーションには、相手に喋ってほしいのであるし、自分の主張を話すタイプのコミュニケーションは、相手に聞いてほしいわけである。
個人的にはコミュニケーションは一種の芸術に近い技芸だと思っている。新体操みたいに見事に相手から話を引き出したり、摩擦もなく自分の主張を伝えたりする人々がいる。自分は自分のことをまったきコミュ障と思っていた(し、昔はそういう用語はなかった)が、やってるうちにできるようになってきた。やると結果として対人関係に変動をもたらしうるのでおいそれと練習できないが、上手になることは可能だと思っている。