昨年はなんだかあっという間に終わってしまった。相変らずCOVID-19は流行っているが、昔ほど大仰な対策は行われなくなって、可能な範囲で経済と生活を戻していきましょうね、という感じのプロセスに入っている。
年末はなんやかんや忙しくてあまり1年を振り返るとか来年どうする(もう今年になってしまったが)といったことについて想像をめぐらせる時間がなかった。働くようになってから収入に余裕ができつつある代わりに、時間を贅沢に使えなくなっているという感じだ。社会人になってからというもの時間の流れが早くなったなと思うけれど、30歳になってさらに時間が流れるのが早くなっているような気がしていて、良くないなと思う。
昨年はまさに在宅の1年であった。会社がフルリモート可能な状態に突入して以降、家を積極的に出る理由のない自分はほぼ労働している引きこもり状態であった。必要なときに外出し、食糧を買ったりスタバで時間を過ごすといった感じで、あまり健全な状態ではない。
そういうわけなので部屋のグッズを去年は色々買っていた。
もちろん、たまに遠出することもあった。Scalaわいわい勉強会を主催するために東京に行ったし、ついでにMaker Faire Tokyo 2023にも参加できた。でももうあれは夏の話なのだ。あっという間に冬になって、年が明けてしまったではないか。もっと意味もなくウロウロしたほうが良いような気がする。自分はなんか行動することの質量を大きく見積もりすぎているのではないか。シャッとどこかに行って、特に得るものなく帰ってくればよい。人間一人の影響力なんて本当はちっぽけで、本当にちっちゃなわたしなのだけれど、気を抜くとすぐに自分の大きさを見誤ってしまう。
意志を軽視しすぎているような気がする。というのは、何かやってみようという意志が芽生えても、全体からするとあまり実利がないのではないかとか、誰かの気を損ねたり迷惑をかけたくないな、とか、悪目立ちしたくないな、という気持ちが全面に出てしまって、羽根を伸ばせないような感じになってしまいがち、ということ。損得感情が出てしまう。損得感情で動くと、それ自体で消耗する。もともと意志薄弱な感じがあるので、外的要因ですぐやめてしまう。
しかし、意志を貫徹してなんらかのやりたいことをやり遂げたほうが自分の満足度は絶対に上がるわけで、その一方、何かに配慮して程々の事をやったり優等生的なことをしても自分は一生満足することがない。そんで、人間一人がかける迷惑などたかが知れている(今時のインターネットだと勝手に延焼したりするのだが)。だから伸び伸び好きなことをやったらよいと思う。損してもやりたいことをやりたい。世間は損することや損している人にとても冷たくなってきているけれど。ちっちゃなわたしなりに面白いことをやるというフェーズに突入したい。欲を出して一発逆転してなんか良い感じになろうとしてはいけない。
30になったことで身体にデバフがかかるようになってきた。なんかたまに文字が見にくいことがあるしエディタのフォントサイズは少しデカくなったし、腹がなんか出るし(これは半分くらいは家にいすぎたせいだと思う)、くたびれるし困ったものだ。このままだとプログラマ35歳定年説を待つばかりか人間として終了してしまいそうなので適度な運動を心がけたい。
今更だけど2024ってなんかめちゃくちゃ未来感あるな。2で割れるし、4でも割れそう。なんか割れそう感がすごい。パーティーに持参しても喧嘩しないと思う。なんかどんな人数が来てても配れそう。2000年になったときもはえ〜未来ンゴねえみたいな感じだったし、2010年になったときも、2020になったときもそういう感じだった。人間このペースで年を越してきたのか〜と思うと、まじで人類の進歩速いし、戦争とかもすぐ前だし、ちょっと前は江戸時代で実家は百姓やってたと思うと面白い。
2024年どうしようね〜。やりたいことベースでいえばそろそろ人生ステップアップさせたい感じはある。バイクでどこかしらツーリングに行ったり、Spresenseでおもしろ電子工作をしたり、なんか良い感じの旅館に泊まったり、美術館に行ったりしたい。天気が良い一年だと良い。それを始めるだけのカードはもう揃っている。月に1つはなんかやっておきたい。ただここのところ京都市は観光客でいっぱいでうんざりしてしまうので、なんか良い方法はないかなあ。