Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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2020年の空気と来年の抱負

今年ほど自宅にいた年はないだろう。とはいえ、弟が就職して引っ越したり、オンラインゲームをする頻度が増えたり、そういう年であった。

自分は京都との相性が悪いのか京都での出来事がそれほどないのだけれど、地元である佐賀では様々な出来事があり、カラフルに覚えていることが多い。

京都でもまあそれなりのことがあった。バイクならよかろうというわけで琵琶湖周りをツーリングしたり、車検に出して6万円飛んで行ったり、付き合っていた恋人と別れたり、泥酔して川に落ちて服を無くしたりした。だが全体的に、心は現実にではなく、ネットの世界を向いていることが多かったように思う。

ネットでも、いろんなことが起こった。コロナでストレスのかかった人間が現実世界での暇を持て余したのかたくさん流入してきて、ピリピリしていた。 喧嘩は不毛であり、ずっと人が怒っていたし、自分は苦々しく思っていたし、狂人にフォロワーが数万人とついているのを見て不安がよぎったりした。

ネットのあれこれで消耗するのは避けなければならない。だがトリアージ的なスキルが不足していて、うまく捌けない。言葉にしないと頭が鈍りそうで、「こいつはダメ」「あいつは良い」みたいな恣意性を排除したかった。そうしていくつかのルールを決めてみた。

  • 恨まず、恨まれないようにする
    • 恨むのは最大の不幸。歴史やコピペを通じて本来恨まなくて良い人を恨むようになる。
    • 恨まれるような行動はしてはいけない(他人を判断する基準としても使う)
  • 未来予知をしない
    • 不安は往々にして未来予知になるが、未来予知はできない
  • 意見があるのは良いことだが揉め事に対しては意見を保留する
    • 参加せずに観察する
  • ネットでムズカシイ話をしない

ムズカシイ話をするな!!!という話はムズカシイ話になってしまって狂人になってしまうかもしれない。だがムズカシイ話はやめたほうがいい。人生を無駄にしてしまう。

年が過ぎるたびにその年の数字が見慣れなくなっていく。199Xは見慣れていた。200Xも自分のものだった。201Xから周りに広がり始めて、202Xはもう他人のものになったように感じられる。2021年はどういう年になるのかまるで検討がつかない。2000年台らへんまでは、来年も今年の地続きにあるぞ、という感じだったのが、2010年台あたりから地滑りを起こしたように毎年の連続性が不連続になっていって、共通認識としての社会というものは完全に解体されつつあるように思う。

自分のジジイ度が上がっているような気がする。例えば緑茶ばかり飲んでいて、羊羹を食べているし、陶器の茶器が好きだ。 もともとお婆ちゃんっ子なのでそうなのかもしれないが、Web業界にいながら、存外保守的なところがある。このままだと着物のおじさんになっているかもしれない。

来年は消耗を避けて、いい加減に暮らすことにしたい。床で寝る、外で屁をこく、髪を切らない、ネットの喧嘩をバカにする、酔ったまま行動を歩く、社会正義に賛同しない、洗髪中もお湯を出しっぱなしにする、貯金をしない、といった反社会的行為が考えられる。でもマスクは当分外せそうにない。

お利口さんな抱負も考えておくとすると、たくさん本を読もうと思う。

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