Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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自分の機嫌を取る

自分の機嫌を取らないとなと思うことが最近たてつづけにあった。仕事のコードの機嫌が悪くて自分の機嫌も悪くなり怒り狂っていたり、Apple Musicの動作が不安定すぎてストレスを感じていたり。当たり前と思っていることが当たり前に動作しないと人間はすさまじいストレスを感じるものだ。

悟った人であれば、世の中に当たり前などありません・・・と澄ました事が言えるのだろうけれど、自分は凡夫なので、とにかくストレスを破壊する方向に努力を重ねたい。

世の中で起こる大抵のものにコメントが(見ず知らずの人から)自動的に付く世の中になって久しいけど、自分はあまりそういうシステムを歓迎していない。 コメントが書かれていると、自分が考える余地を与えられずに、こう考えろ、という正解を突き付けられるようで、嫌な気持ちになること、稀ではない。

技術的な記事ではあまりそういうことはないのだけれど、事件性のある世の中的な話題だったり、党派性のある政治的な話題には、速の上がりきったコメントが付いていて、鬱陶しいし、あまつさえあれこれ決めつけてくる時すらある。 ストレス社会という言葉がいつからあるのか、私には見当も付かないが、ストレスと形象されてきたものが具体的に形になって襲いかかってくるような嫌さがある。 限界っぽい人が世の中の上層の人間を引き摺り降ろそうというモチベーションだけで書いた攻撃的な言葉がどこからともなくやってきて心の健康を損ねる。

ニュースだけ知りたくてもそれは果たして不可能というか、もれなくコメントがぶら下がってくる。あったら読んでしまうと思う。読まずに済ませられるほど自分は意志が強くないので、そこだけ断わっておきたい。意志が強い人にとっては、自分の悩みは意味不明だろう。

で、ここからが本題で、自分の機嫌を取らなければならない。しかも、結構積極的に。何か嫌なことが起こってもそれに耐えられるだけの強さを備えておくというか。

あらゆるものが自分のやる気をスポイルしてくるというか。あらゆるものに、それを冷笑するようなコメントがついているのが当たり前の世の中になっているので、それからの防護策を講じなければならない。悲しいけれどそうするしかない。 あらゆる主張に対抗言説が付帯してくるので、なんとなく自分を納得させて行動するということが難しくなってしまう。対抗言説がある以上、それを無視したという事実がなんとなく付いてくる気がする。

家にいつもお菓子をストックしておくとか、嫌いな人はブロックしておくとか、部屋をいつも綺麗にしておくとか、パジャマに柔軟剤を使ってあげるとか、そういう複合的な「ご機嫌取り」がなければ、現代社会で正気を保ちつつアウトプットし続けるということは不可能な気がしている。この主張にも、冷笑的な対抗言説を考えることができる。

価値観の戦争というか。こういうの良いよね・・・みたいな感じでウットリしている人はもれなく匿名の暴力に晒されていくので、ある価値観を保ち続けるのは難しいのではないかと思う。インターネットでは、冷笑するという価値観だけが生き残って、あらゆるものを冷笑している。熱狂の時代が終わって冷笑の時代がやってきた、と自分のフォロワーが言っていた。本当にそうだと思った。

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