ひとこと日記を先月からずっと書いている。日記といいつつ、たくさん書いている。5月が終わったので、それらをまとめて自分の気持ちを整理したり、他の人が何かの参考にすればいいと思ったので、いくつかピックアップしつつ放流する。特にオチはないです。
暮らし
- 自分の幸せは自分で守る、知らないふりもする
- ネットとかには他人の不幸な話があふれているのだけれど、それでも自分の感受性というか、幸せは自分で守らなければならない。他人の言葉や感情との距離がどんどん近くなっていく時代なのだけれど、他人はあくまで他人でしかない、という態度を貫くしかない。
- 自分の人生は自分で作って幸せにならなくちゃいけない
- 何かのこと虚無とか無駄っていう人、よくない
- 何にでもケチつける人がいて、ネットだとそういう人が多い。趣味とか活動をくさす人に合うと、ポキンと折れてしまうことがある。自分が楽しければいいんだし、その基準は他人が決めることじゃない。趣味なんてどれも独善的で、役に立たない、無駄な、妄想的なことなのだから。
- 文化というのはおよそ幻想的なものだと思う
- 主観的な楽しみから目を背けている、楽しんでもいい。
- 楽しみには証拠がない、楽しみが持続する証明がないのが怖い
- 証明がないのが怖くて実際に楽しみが消えてしまってるじゃん
- 楽しいうちが華だとかんがえることもできる
- 楽しくなくなるかもしれない、好きじゃないかもしれない、好きじゃなくなるかもしれない、といった未来の心配を一切やめるとよさそう
- 楽しくやってるのを台無しにするのは本当に簡単なので、そういうのに惑わされないようにする
- 将来の安定が欲しい
- いつも不安を感じている。もうこれでいいよ、という感覚がぜんぜん得られなくて、自分になにか欠けたところがあって、それをずっと探しているという不安。
- 就職した時点である意味人生は完成していて、もちろんキャリアパスみたいな難しい話はあるんだけど、わりと人生あとは横道に逸れてもいいというか、世界を探検するフェイズなのかもしれない。ずっと受験とか将来みたいな話をされてきたから、そういう視点はなかった。
- 就職したので、不安定ではないでしょという話もある
- 自分磨きって言うじゃない、磨かないと光らないわけだ
- うさんくさいキーワードなのだけれど、磨かなければ光らないという含蓄がある。これはスキルみたいな資本主義的な概念ではなくて、自分のメンタルをケアしてやるというか、自分が楽しむ余裕をちゃんと作ってやる、みたいな話。
- 他人のことからまず考える癖がついていた。自分のことから考えてもいいんだ。
- 他人がどう自分のことを思ってるか、みたいなのをすぐ考えてしまって不安になったりする。
- 役に立つ意見を知りたいのであって、全ての対立意見を聞きたいわけではない、自分に役立てたい
- いろんな人の意見を聞きましょう、みたいなスタンスで育ったので、世の中の荒れた話題を見ると委員長的な立ちふるまいをしてしまいがち
- 別に自分は社会の意見をまとめるのが仕事ではないので、自分の興味に従って好きに情報を選んでもいい
- 閉塞感
- 新しいものを見いだすのをやめている、とも考えられる
- ネガティブに考える癖がついている、ポジティブにとらえるようにする
- 幸せそうにしていたら、幸せがよってくるんじゃないかな
- 世界に拒絶された体験みたいなのがあると、ずっと尾を引く
- 間違いを正すみたいな考えかたはしないほうがよさそう
- 自分が得しとけば、まずはそれでいい
- 他人を救済するぞ!!と発想すると不幸になる
- 世の中の大体のことは「好きにしていい」カテゴリ
- 天に任せる、みたいなスタンスも必要
- 急に気付いたけど、自分に欠けてるところなんてないのでは
- 正しい世界、みたいなのが崩れて、正しさを保証するものがないので、せめて後悔しない生き方をすればいいとおもう
- 世界の中心がオピニオンリーダーみたいな人たちから、自分中心の世界になっていく。自分の身近な幸せ、みたいなのをフィーチャーしていくことになる
- だれもが、正しいことをやっていたい、という本能があるのだと思う、それをめぐって争うようになっているけど、やっぱり好きにすればいい
- 誰もが結論に飛び付きたい
- 俺は結構賢い気がしてきた、自分にできることがたくさんある
- 元気
- なんで元気なんだろう、みたいなのを考えないようにする
- 感情について考えることが無駄、感情はそういうもの
- 感情的な人よくないよね、という考えが先行していて、自分がそうなるのを許せなかった
- 他人を潜在的な脅威とみなすから怖いんだな。実際は同じ世界を生きてる仲間。
- 正座すると姿勢が良いきがする
- 自分は幸せになれないという思い込みから解放される
- 平和なのは良いこと
- 人間には、争いを探す本能があると思う(いちはやく危険な兆候を察知して有利な行動を取りたい)
- なので、こんなに大変な事が起こってます!!!みたいな感じのことを言う人がネットにはまあまあいる
- それはそうとして、自分は平和に暮らしたほうがいいと思う
- 今日は天気良いな~みたいな
- この本おもしろいな~みたいな
- 争いにかまけていると、そういう幸せが見えなくなる、不幸
- 何かあるんじゃないか、という感じでネット中毒になるんだけど、べつに何もない日があったっていい
- 世界にはまだまだ楽しいことがあふれている、それを探したほうが楽しい
- 人間には、争いを探す本能があると思う(いちはやく危険な兆候を察知して有利な行動を取りたい)
- 人生、自分が思っていたほどハードモードじゃないのかもしれない
- 他人のことは、まあちょっと気にするくらいで良くて、他人に合わせる必要はそんなにない
インテリア
- 脳を賦活したい
- 認知負荷を下げる
- げんなりするということがないようにする
- 暮らしとか、生きてるとか、息吹みたいな要素にフォーカスしたい、太陽最高ーみたいな
- 親しみ
情報
- 質の高い情報を食ってたほうがいい
- バズってるような情報を見ると荒れた人間が荒れた言葉を紡いでいるけれど、いっときは興奮するかもしれないけど、ジャンクフードなので、メンタルの健康を損ねる
- ド素人のコメント見て一喜一憂したりしてはいけない
- こんなに低品質な食品があるなんて……みたいな凹み方をしてもいけない
- 考えごとするとき、実は防御的になっていて、論破されないように身構えるみたいになるのが癖になっていたけど、ほんらい考えるというのはそういうことではなくて、自由に心を遊ばせること
- 違和感に気付きました、みたいな論調がよくある
- 違和感に気付くのは大事なのだけれど、違和感を感じるのは誰にでもできる
- 違和感だけ感じていると、適応できなくなっていく
- 受け入れて順応していくことも必要で、世の中のたいていの場所では自分は安全なので、警戒するよりも順応を選んだほうがいい
- 建前はダサい、みたいな論調があるけど、全部本音でぶつかるとあらゆる意見に反論していくみたいな生き方になるので、普通はしないほうがいいと思う
- 建前が必要というのは、言い換えると本音で行くとぜったい喧嘩になるということだから
- それはそうとして、尖った事言う人がいること自体は許容したほうがいいと思う
ことわざ
先月はこちらです blog.3qe.us