良くも悪くも、子供時代には大人とは違う暮らしがある。とりわけ手持ちの自由の大きさは桁違いだ。大人になってから、その不自由さに気付かされることもある。改めて考えると大人はすごく自由なんだ、ということに気付く。
子供時代は不自由である
友達とdiscordで雑談をしていて子供時代の話になった。
いろいろ思い出していくうちに、子供と比べて大人の方が自由があるよね、子供時代は意外と自由はなかった、という話になった。
曰く、給食を無理やり食べさせられるだの、粗暴な人間が首を絞めてくるだの、学校にはなんかろくな思い出がなかった。大人になってからは、基本的に何かを強制されることもなく、好きに何かをすることができる。好きなものを食べていいし、どこに行ってもいいし、何を着ても良いのだ、と。
自分はあまり子供時代に悪い記憶はないので、ふうんそういう考えもあるのか、と思った一方、なるほど確かに子供時代は何かと縛られたルールの中で暮らしていた。田舎だったのでだいたい皆均質に育てられて、同じような大人になっていった。 偏食と呼べるほどの好き嫌いは無かったので、給食に関する思い出は良いものしかないのだが、校区外に行くなだの、制服を着ろだの、何かとうるさかった。なんでも大人が命じて、それを子供がやる、という構造になっていた。
自分の場合、そういう制約を不自由に思わず、素直に受け入れていた。今思えば、あまり意志のないつまらない子供で、優等生タイプという感じ。ルールを守ることが目的化していたフシがあり、大学に来てからはまあまあ戸惑ったし、何しても別に構わない、というときにどうしたら良いかわからなかった。ソビエト崩壊後の市民、みたいな状態。
大人は自由である
大人ははるかに自由である。それに気付くのが早い人もいれば、遅い人もいる。自分は遅いタイプだったようだ。
そもそも、大人が自由なのだというよりは、本質的に我々は自由で、子供は教育の名の下に縛られている。もちろん大人でも様々な制約のもとに生きているのだが、それは生きるためのお金を稼ぐとか、自分のお金を管理できるとか、そういう最低限のレベルであって、それ以外は自由だ。
一方で自分は、周りが用意したルールに依存していた上、まるでよう分からん社会人?ソフトウェアエンジニア?というものになってしまったので、不安で仕方がない。高難易度のゲームをプレイ一週目で頑張っている状態。何したら良いのか分からんすぎて困っていた。前述の通り、「聞き分けの良い子供」だったため、就職してからも、なにかをやりたいという自分の意志はそんなに無い一方で、社会人は社会に役立つなんかをしなければならない、とか、最低限こういう技術を知っていなければならない、といった強迫的な意識がかなり強かった。
そんな自分の不安に呼応するように、転職系記事がこういうスキルがなければならぬ、こういう技術を知っていなければならぬと煽りおる。 気がつくと頭の中がべき論だらけになっていて、押し潰されそうになっている。
とはいえ、別になんのことはない、普段は好きに暮らして、給料上げてえな〜、みたいな気持ちになったら、給料上がりそうなことをすれば良いのである。基本的に、遅延評価でいいのではないか。
給料上げるのに必要であればその時に覚えればいい。俺は賢いから覚えられるっしょ、という感じで自分への信頼をマックスにしておく。
気付いたら間に合わなくなっている、みたいなのは基本的に無いはず。そりゃちょっとは時間かかると思うけど。勉強の必要が生じたら時間区切ってちまちまやればいい。全部捧げる必要はない。
こうあるべきというレールを想定してそれに忠実に沿って暮らすよりは、荒野を冒険してキャンプしていけばいいし、Webエンジニアとはそういうマインドセットの方が合っている仕事だと思う。他人が設定した目的に怯えるのではなく、自分で目標を描いていけばいい。
正しい人生というものに溢れている
世の中は「やっておいた方がいいこと」に溢れていて、時々溺れそうになる。暗雲のように空を覆ってしまう。価値や意義に押しつぶされそうになる。世に通じているべきとか、政治的意見を持っていろとか、市民の義務を果たせとか、老後の心配をしろとか、結婚をしろ、するな、とか。
その傍ら、世の中は「やるべきではないこと」にも溢れている。いい歳なんだから、無駄だから、みたいないい加減な理由で、好きなことをするのに不安を差し挟んでくる。そうなると何やっても楽しくないではないか。
ようするに他人の人生にゴチャゴチャ言える環境にインターネットのおかげでなってきていて、これからもそれは続いていく。他人が自分の思い通りにならないのを我慢できない人が可視化されて、集まって、悪霊として徘徊している。
だから自分が悪霊から離れるしかない。その方法はいろいろありそうだけれど、その方法はそのうち見付ける。
まず自由があって、その後で何がしたいとかいうことを考えればいい。むしろその自由さがあるからこそ、意志が出てきて、やってやろうという気持ちが芽生えるし、生き生きした人間になるのではないか。