Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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様々な面から自分の2022年を振り返る

世間はクリスマスでも、自分にはあまり関係が無いことだ。いつも通りに暮らしている。今年は、友達と大阪に遊びに行ったので、少し違ったクリスマスになった。まあ、自分は寒さに強くないのであっという間に大阪の寒さ(京都ほどではないにしても十分寒い)に蝕まれて、結局日暮れとともに家に帰ってきた。普段は苦も無くすれ違える成城石井が異常石井になり、カップルやグループが連れ合ってシャンパンやビールをカゴに入れて、今日ばかりは電車の時間も気にならないとばかりに、レジに行列を作っていた。

自分はボルシチといつものローストビーフ(四条駅の地下の成城石井に来たときは必ず買うのだ)を今しがた食べ終えて、ようやく今年が終わるのだなという感慨にふけっている。自分は鈍感な方なので、いつもこれくらいにならないと年の終わりを実感しない。

長いようで、短い年だった。かねてより続いていたコロナの行動制限は随分と軽くなったものの、人々の心情的には出歩くという風潮でも無かったし、積極的に遠出する理由の無い自分は尚のことどこにも行かなかった。人生のすべてが、四条通りと二条通りの間くらいで行われていた。時空間の広がりに乏しい年になってしまったなと反省する。戦争が始まってからというものの、ただでさえ重い空気がより一層重くなり、呑気に遊べるような感じではなくなってしまった。でも、そうしなければならないのだ。そうしないと人間のうち最も大事な部分が干上がって、立枯れた木のように、ただそこにいるだけの人生を送ってしまいそうになる。そのせめてもの償いとして、今年も飛行機で良い席を取って帰るのだ。愛すべき地元へと。

何も無い年だった。世の中的にはロシアによるウクライナ侵攻を皮切りにいくらでもニュースが吹き出してきたのだが、あくまでそれはスクリーンの向こう側の話であって、それにかまけて人生をやっている振りをしている間に、スクリーンのこちら側では何も起こっていなかった。とはいえ、買ったものの紹介くらいはできるかもしれない。

買ったもので振り返る2022年

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そういえば腕時計を買ったのが今年の始め、まだ戦争が起こっていなかった頃の話だった。すっかり自分の生活には馴染んでしまっていて、ずっと前から持っていたような気がする。1年経つので、買った店に持っていってメンテでもしてやろうかと思う。今後の暮らしの中でも、当分お世話になるだろうと思う。どこに付けていっても邪魔にならない、良い時計だ。

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それよりも少し前になるが、革のちょっとした小物入れを買っていた。前述した時計もいつもはこれに置いてある。何の変哲も無いのだが、しかし何の気になる点も無いという、道具として最高の部類に入るであろう立ち位置をキープし続けている。

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記念すべき最初のNothing製品を購入していた。これは本当に買って良かった。見た目も良いし、音質も困っていない。存外バッテリーが長持ちするし、軽い。工具のようでもあり美術品のようでもある格納ケースは、眺めていても目を楽しませてくれる。 一点注文を付けるとしたら、ポリカーボネートが思っていたよりも傷付きやすいことだ。

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お茶を入れるやつを買っていた。残念ながら、あまり活躍していない。結局、適当にガラスポットに茶葉を入れて、適当に熱湯を入れて、それを適当に漉して飲んでいる。マリアージュフレールが掲げるような紅茶の嗜み方を貴族の紅茶芸術と呼ぶならば、僕の家では晴耕雨読のような、朴訥な茶が飲まれていることになる。一庶民が紅茶を飲める現代に感謝。

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ディスプレイの上に置く照明を購入していた。これは微妙に価格が張るが、それ以上の働きをしてくれる。何より、机に照明があることを綺麗に意識から取り除けるのだ。そういえば暗いなというときに、はじめてそこに照明があることを思い出し、一度机を照らしたら、また照明があることを忘れるような、そんな謙虚な道具だ。ただ、画面の貴重なUSB給電ポートを1つ食ってしまうので、その点さしでがましいやつだ。

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皿は常になにかの下で使われるという点において、他の道具とは一線を画している。永遠に主役たりえない。しかしながら、時として皿が主役に見えることもある。この良くわからん平たい皿は、盛り付ける前でも食べ終わった後でも、独り立ちしているような印象がある。ほどほどに小さいので、洗うのも楽だ。

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これは買ったもののリストに入れて良いのだろうか?そのような問いが生まれる事そのものが、所有とは何なのか、ものとは何なのか、貨幣とは何なのかについて考える良いきっかけになるかもしれない。そういえば、windymelt.ethというドメインをEthereumで購入した。非-中央集権的なインターネットの時代はすぐ来るかもしれないし、そんなに来ないかもしれない。イーロンマスクがTwitterを買ってから発生しているしょうもないいざこざや、利用者のぬか喜び、そして現在進行形で発生している帝国の瓦解とディアスポラの様子を見ていると、非-中央集権の時代はマストドンからやってくるかもしれない。

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今年買ったもののうち二番目くらいに良かったものが、このNothing Phoneである。Nothing earを購入してからというもの、自分はNothingブランドの大ファンになってしまったのだが、Nothingがスマホを出すと聞き及んだときの感動や小躍りといったら他になかった。そしてその期待は果たして履行されたし、今も自分の愛機であり続けている。良いスマホなのだけれど、数字として出るような「良さ」というのが無くて、何も困らないという良さがあるというNothingらしいスマホだ。これもNothing earと同様に、ただ見ているだけでも良さを味わえるスマホだ。装身具にも近いような感覚を覚える。

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今年はよく花を買った。ただ花を飾っているというよりは、終わらない病禍へのアンチテーゼに近い。花を飾ることで、いかんともしがたい世の中が変わるのではないか、という、悲鳴や願いに近いものがある。それはそうと、明るい色の花を部屋に飾るのは尊いことなので、皆様もやってみてください。

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キーボードも実は購入していた。ちょっと今年はガジェット買いすぎている気がする。色々な軸を使ってみたところ、自分には青軸が一番向いているようで、リモートワークなのをいいことにチャカチャカチャカチャカ音を立てて仕事をしている。サブキーボードとしてHHKBを使っているが、しばらくはこちらを使うことになりそう。ただBluetooth接続機能がだいぶ不安定で、しょうがないのでずっとUSB接続で使っている。この手の道具が不安定だとどうしようもないので、頑張ってほしい。

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今年で最も巨大な買い物はマットレスだった。価格がでかければガタイもでかい。前使ってたやつの2倍くらいの厚さがあり、気分はチャガタイ。自分は昔から不眠症に悩まされていたのだけれど、だいぶこれで改善したし、疲れも取れるようになった。財布には優しくなかったし夏のボーナスが破壊されて墓地に送られたけれど、本当に買って良かった。ベッドがでかいというだけで、無根拠な優越感にひたることができる。いいのか?お前の家よりマットレスでかいぞ?と思えるようになる。

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自作ゲーミングPCのメモリが若干不足気味で、メモリを比較的使うようなプログラミングを最近やっていたので定期的にクラッシュが起こるようになったので購入した。メモリクロックは何もスペックに影響しないことを知ることができた。次からは標準クロックのメモリを買うだろう。君もそうするといい。

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これはくそ最高なフォントだから、買ってくれ。でも今は円安だから、75ドルはくそ高い。なんとかしてドルを安くするか、円を高くして、買ってほしい。

仕事で振り返る2022年

仕事の面で言うと、でかいプロジェクトのアーキテクトとしてえっちらおっちら振舞えて、なんとかリリースすることができたのである程度は自分を褒めたいと思う。「なんとか」というのは、例えば途中で変な風邪を引いてしまい、タスクを他人に配ってやってもらったりしたため。

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ソフトウェアエンジニアとして働くようになって5年も経過したことに驚くのだけれど、ようやく仕事ができるようになってきたなあ、という感覚がある。自分は得意なものはずっと得意なのだけれど、苦手なものを並にするのは大層下手で、最近になって練習というか努力(未だにこの言葉を使うのは不得意だ)の焦点を合わせてエネルギーを集束させるといった行為ができるようになってきたと思う。これからも精進して良きエンジニア、良きハッカー、良きメイカーであり続けたい。

以前と比べると経験値が付いたのか、設計をしてもあまり外さない、手堅い設計ができるようになってきたかもなと思う。まあ同僚には真に手堅い設計をするエンジニアがたくさんいてそういう同僚には敵わないのだけれど、まあまあいい線行ってるでしょ、と思う。

どっかから吸い込んで、どこかに活かす、というのが仕事で成果?というか進歩するための基本なのだろうと思っていて、最近は努めてそうするようにしている。しかし輸入をするだけではだめで、今そこにある問題を着実に解決していく砕氷船のような役割とも向き合わなければならない。

こういう、落ち着いて振り返るみたいな時間を大切にしたいのだけれど、だいたい人間というものは年の暮れくらいにしかこういうことを改めて考えたりはしないので、もっと季節の行事を称揚して、積極的な振り返りの機会に代えても良いかもしれない、と思った。

Scala活動で振り返る2022年

自分のTwitterを見ていればわかると思うが、怒涛のScala発信活動をやっていた。

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ある一定の時期から、もう俺が書くしかねぇ、という気持ちが固まってきて、それ以来積極的にScalaのやや入門寄りの記事を書き続けている。1年前の自分が泣いて喜ぶような記事は何か?というのが基本的なスタンスで、未来に向けてのメモであり、後学のための道標を置いているような気持ちでもある。書いていかないと初心者は去っていくし、そういう言語から滅んでいく。滅んだ言語は、雇用も無くなる。少なからぬScalaユーザは割と初心者に対してそっけないというか、分かる人だけ分かればいいよ的な態度を取りがちなのだが、自分の雇用を破壊しているからよしたほうがいい。

別のScala話題としては、ZMMというずんだもん(VOICEVOXのキャラクター)が喋る解説動画作成ツールを書いていた。これは10月ごろからやっていて、なんかそれなりに動くようになってしまったので面白くてどこまで行けるかチャレンジという感じで開発を続けている。

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ありがたいことに執筆時点で26スターも貰ってしまったので、それなりに面白いと思ってもらえているのだと思う。最終的には「台本はあるんだけど動画はな〜」と思っている人に繋がなければいけないので、ちびちびと開発を続けて、「使ってみました」という報告が出るまではまず頑張っていきたい。ある意味、自分ずっと支えているプロダクトでもあると思う。

人としての2022年

ベッドに投資して不眠症がだいぶマシになったのが良かった。大抵のものはカネでカタが付くのだという、世の中の身も蓋もない真理を知ってしまった。これ以降、金でなんとかできるときはそうするようになった。

特にライフステージが上がるということもなく、一人暮らしをしている。友達も増えたのが嬉しい。今年は運動するためにしょっちゅうスタバに行っている。おそらく、今年だけでとんでもない額がスターバックスの懐に入り、米国の国庫を潤していることだろう。知らんけど。悠長な感じで暮らしているし、このまま悠長に死んだらいいのだけれど、世の中的には結婚してない中年男性は苛めていいことになっているので、そういう不利は回避しなければならない。多様性だのどうのこうの言いつつ、結局僕は標準的な人生を歩みたいのだな。まあ、なんとかなるでしょうと思うし、なんとかならないという感じで切羽詰まっている人間よりは、のほほんとしている人間のほうが総合的には良いと思う。

腕時計が大好きで、付けたいから外出するようになったのが良い。衣装と装身具は、ある意味でヒトを人間にするのだ。僕は人間であり続けたいから、ちゃんと毎日ヒゲを剃るようになった。

バイクに全然乗っていないのが良くなかったなと思った。結局、公道に怖気付いてしまっている。来年は積極的にどっかに行ってみよう。ドライブスポットをうろうろしてみよう。

暮らしを貫く一本の糸があると、良いのかもしれない。欲張って世の中のすべてを懐に入れようとするとただ曖昧な感じになるだけというか。まだ自分には、既に瓦解した旧い帝国であるところの2chで幅を効かせていた覇権コンテンツ思想的な遺構が残っていて、それに心を引き摺られているのかもしれない。世界全てを貫く一本の糸も針も無い時代になっているのだ。世の中の物語に縋るのをやめて、覚悟を決めろという時代である。

いとしのリュシュカ

リュシュカという紅茶を愛飲している。ロシア風の、くらいの意味で、フルーツと柑橘系の香りがついている。品番はTB927。香りが絶妙なバランスで構成されていていつ飲んでもおいしい。

ただ、飲むたびに、まだ戦争が終わらないなあ、と思うようになってしまった。自分にできることは基本的に無いし、できるように見えることはだいたいまやかしなので、じっとしているしかない。とっとと終わってほしい。

やんごとなき平和な2023年が来てほしい。

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