まあそれはそれとして、あわただしい世の中の流れの清らかな場所に錨を下ろして、一応浮かびながら、文庫本をちびちび読んでるOLみたいな暮らしをしたい。
— Windymelt (@windymelt) 2021年6月17日
「錨を降ろす」のと、「怒りを降ろす」のが、たまたま同じ読みになっていることに気付いて、なんか深い洞察に触れたような、そうでもないような、不思議な感覚になった。
怒りを背負っている間は、世の中の流れに引きずられていくだろう。歳をとることに怯えている間は何もできないだろう。
夜が退出なのではなく、昼が流れなのだな〜
— Windymelt (@windymelt) 2021年6月17日
夜、自分の持ち物じゃないみたいで怖かったけど、むしろ自分の持ち物だと思っていた昼間の流れこそが他人の持ち物であって、自分の流れを大切にすれば良いとわかってきた
— Windymelt (@windymelt) 2021年6月17日
クロノス的な外の世界の軸と、カイロス的というか時間と直角な広がりを持った内的な世界との軸があって、どっちかが強くなりすぎるといけない気がする、前者が強いと他人に怯える、ニュースを見まくるみたいな感じで、後者だと夢の世界の人という感じもする
— Windymelt (@windymelt) 2021年6月17日
ふと立ち止まって考えようとする時、周りの人の群れが自分を置いて行くような気持ちになる、しかしそれは、柵で囲まれた放牧地で🐏の群れがぐるぐる回っているだけであって、自分はその中で座っているにすぎないし、🐏はただ回っているのだから心配には及ばないという感じがする。
— Windymelt (@windymelt) 2021年6月17日
迷える子羊🐏よ、時間を横切れ。川岸に安寧を見出せ。
— Windymelt (@windymelt) 2021年6月17日