Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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今後のキャリアを考えろっていう言葉に悩んでいたけど、ひとまず同僚を模範としておくと良いという風に考えるようにした

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文章

世の中の一般的な・・・と言うと主語がデカすぎるので、1993年に生まれた大卒者は・・・ということにしておこう、大卒者は早ければ中学生のあたりから、何かにつけてキャリアキャリアという言葉を浴びせかけられ続けてきた。正直中学生が将来の事ちゃんと考えているとは思えないし、自分においてもまったくそうで、世の中にどういう仕事が存在しているのかをつゆ知らない、田舎の児童だった。高校では進みたい大学があるのがどうやら普通らしく、親は一般的な大卒者ではないのでぜんぜんその辺には疎く、勉強していれば良い大学に入れるの一点張りで、自分としてはどうしたらよいか分からず困ってしまっていた。

んで、そのような状況は大学でも就職してからも(当然?)一緒であった。なんか変化しなければならない、学ばなければならないのだが、何を学んだら良いのかよくわからないし、どう学ぶのが正解なのかも分からない*1。なにかを学ぼうとすると、本当にそれを学ぶべきなのか、という問いが頭をもたげてくる。キャリアパスという言葉が頭の中に浮かんで、岐路からの第一歩を踏み出せない。自分は、「キャリアパス」という言葉を、レールのような、後戻りできない不可逆的な過程として捉えていたのだ。だから、誰かをロールモデルにするのが怖かった。なぜなら、誰かをロールモデルにするということは、その人のようなキャリアパスを歩むという決定的な方向付けだと思っていたからだ。

だが実際は違う。キャリアパスというのは大規模な、マクロな構造であるし、日頃から誰かをロールモデルにするという事はミクロな学びの実践なのであって、互いにはあまり関係無いのではないか、という点に気付いたのだ。 もちろん目指したいキャリアパスというのが明確で、それに近い先輩が居るならばその人をロールモデルとするのは間違いない選択だとは思うが、日頃の学びに誰を選ぶかでいきなりキャリアパスが決まってしまうほど、ソフトウェア開発者としての暮らしは一方通行ではないのだ。

したがって、自分は日頃は同僚を模範として知見を吸い取っていったらよいし、たまにキャリアね~みたいな事を考えていればよいらしい。

自分は納得づくでなければ中々物事に集中できない性格で、本当にこれでいいの?と考え出すとキリがなくなってしまうという弱点がある。今回はまあ同僚を模範にやってればいつか何か見えてくるぞ!!ということにして、それで安心することにする。

そういえば

ウマ娘始めました。最初にもらえるジュエルで引いたらなんか強そうなかわいいウマ娘が出てきました。これから勉強していきたい。

*1:実際のところ、正しい学ぶべきものや正しい学び方というのは、存在しないのだが

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