Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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理解できないものを受け入れられない人々 / 有能な技術者の条件

理解できないものに遭遇したとき、人間は割とすぐに白黒付けようとする。しかも、理解できる範囲でこれを行おうとするのだから、大抵うまくいかない。

自分がビットコインで卒論を書いたときもそうだった。当時はMt.Goxが破綻していた頃で、ビットコインに対する世間の反応といえば「大儲けできる夢のスキーム」か「空前の大詐欺」かのどちらかで、ごく単純な二分法が人々の心を支配していた。自分は経済学部にいたが、ビットコインの理屈を理解していた人はほぼいなかった。自分が卒論のテーマとしてビットコインを選んだのは、そういう単純な善悪二分法を糺したいためであった。

自分の卒業から5年程度になるが、今でさえネットの議論は単純な二分法に転倒しがちだ。H-3の打ち上げが失敗か否かとか、愛国か反日だとか、理解のゴミ箱に押し込められてしまうものごとが山のようにある。

人の生来的な傾向として、何か未知なる現象に遭遇したとき、まずそれを理解しようとする態度を放棄しがちである。この時点で理解から1つ後退するわけだが、「理解できない」ことは霊長のプライドが許さないのか、「既に理解していること」のカテゴリにさっき見たものを安住させてしまう。すると理解から2段階後退していることになる。

ズバッと世間を斬るのがネットでは称揚されるのだが、「ズバッと」というのは「既に理解していることに安住させる」のとほぼ相違ない。かなり気を付けていないと、このような転倒を起こして、理解から遠ざかる上にネットでチヤホヤされることになり、才能を培う環境からは程遠い状態になる。

自分は有能なソフトウェア技術者でありたいと考えている。ソフトウェア開発では、よくわからないものに名前を与えたり、よくわからないものを分析したりする。一般に、有能であり続けるための要件は学習し続けることだ。そして、学習し続けるために必要なスキルとして「わかっていることとわかっていないこととを弁別する」という力が求められる。これは見方を変えると「好奇心旺盛」とも表現できる。分かったフリをすると分かろうとしなくなってしまう。「自分はこれをよく分かっていないが、解き明かせるはずだ」という態度を、何事に対しても持っていたいものである。

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