Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

自尊心と趣味の積立は計画的に

部屋を見渡すとう〜んとなってしまう。頭が混乱する。読みかけの本、畳んでいない洗濯物、そろそろ洗いたいジーンズ、体調の都合で使う機会のないエアガン、最近弾いてない楽器などなどが、自分の欠点をあげつらうからだ。ひとつひとつならまだしも、一斉に目についてはちくちくと自制心の弱さ、計画性の欠如、才能の無さをつついてきて、叱られた子供のようにむくれるばかりだ。

この場合俺は思い描く理想と現実の状況との鮮やかなコントラストに衝撃を受けて心を傷めている、自尊心を損なわれているということになるが、なぜその落差が生まれてしまうのか、その高みに登れないのは何故か。

一つに過大評価。できないのにできる気がするから悩む。ひとまずはできない事を認めること。だが理想は高く持ちたいのも人情。

一つに選択と集中の失敗。万冊を読もうとするならば、一冊を読みきらなければならない。一冊を読み切ってそこではじめて達成感がある。つまり読んだページではなく冊数が問題であることがわかる。これを全体に押し広げると、多趣味を保つのは難しいという結論になる。どれも達成に至れないかもしれないからだ。しかし人情、あれもこれもしたいし、ちやほやされたい。あわよくば自尊心を高めたい。話の種にも多趣味は有利だ。しかしできれば達成しやすいものがよさそう。ベースではなくギター、エアガンでは長モノではなく扱いやすいSMG。するとプログラミング言語は……いかんいかん、俺としたことが……

本に限れば、活字を読むのには知的体力が必要だと思っていて、しばらく読んでいないと途端に辛くなる。いきなり岩波の白帯を読むのは不可能。まずはそれなりに薄くてそれなりにわかりやすい、しかもそれでいて達成感と衒学を味わえるのがいい。昔本をたくさん読めた思い出に引きずられてプライドが許さないかもしれないが、ベストセラーの新書でも読むといいかもしれない。

別の話題として、何事も計画しなければ進まないという知見を最近獲得した。本や楽器、プログラミングもそうだろう。なんとなくやりたい、それでいて上手くなりたい、気が向いたらちょくちょくやっている、などというのは妄言である。むしろ、計画的にちまちまやっている方がよほど目に見える形で進歩がわかるのではないか。俺はこの事を長らく知らず、仕事も趣味もくすぶるだけだったが、スケジューリングすることで仕事がよく進むようになってきたし、心理的な圧迫感のような、なんとかしなければならないという恐怖感に思考リソースを取られることがなくなり、平穏である。趣味にもある程度スケジューリングを導入してみようと思う。しかし趣味なので、気楽さも残してやりたい。この辺はうまく調節していきたい。