眠れないとき、同時に眠りたくないという感情も発生しているらしいことに気付いた。眠ってしまうと何かを喪失してしまうので、眠ろうという気にならない、ような。
じゃあどうして眠りたくないのかというと、自分が全然前に進んでいないような気がするから。今日も特に何もできなかったな、無意味な一日だったな、という自己反復が脳にこだまして、このまま何もできなかった一日を終えるのか、という苦しみに閉じ込められてしまう。 無意味だったということを受け入れたくないので、じりじりと心の奥を焼かれながら、じっとしているしかない。
暮らしとは階段のようなものであって、ちまちま登れるようになっている。別に登らなくても良いのだけれど、それだと人生あまりに暇なので、趣味とか仕事に打ち込んでなんらかの抽象的な階段を登ることで達成感を得て、ああ我が人生は有意義だと感じ入るという仕組みなのだ。 階段の登り方は人それぞれで、今期のアニメを見ることで意義を感じる人もいれば、趣味のプログラミングをやって意義を感じる人もいる。
そしてその達成感が、自分にはまるで欠けているので、毎日ぼんやりとした虚しさや寂しさを感じて、どこにも逃げられないような感覚に囚われてしまうのだ。 自分は虚しくなってくると音楽を聴いたりする。が、音楽に逃避しているだけなので、根本的にはなんか寂しげだ。 自分にも面白いと思えるような事は沢山ある。だが不思議であり怖いのは、意義を感じながらやっていると、突然ぽっかりと穴が空いて、水を張ったガラスの器が床に落ちて砕け散ってしまうように、折れてしまうことが、予告無しに起こることだ。 この原因は分からない。無意味だという砂漠に足を掴んで引き摺り込む流砂のようなものが心のどこかにしまわれているのだろうか。
達成感を感じるためにはどうしたら良いか。それは計画を立てて毎日なんらかの達成が行われた、という体裁にすることだ。事前に計画しておけば、より達成感は高まるだろう。 とりあえず自分は美容院を予約して、明日パーマをあてておくことにしている。それ自体に全く意味は無いのだけれど、たぶん当日は嬉しいだろうし、しばらく先のこの日に、自分はやることがあるのだという事実が、精神の息継ぎになる。 だから何らかの予定を入れておくと良いと思う。
自分はニヒリストの気が大いにあるので、意義とか意味みたいなものにシラけた態度を取ってしまいがちなのだが、でもやらないと永遠に達成感は得られない。 実は予定を立てている間も小振りな苦痛を感じていたりする。まったくもってエンジンがかからない。心のエネルギー準位が低すぎて、相当なパワーを注入されないと元気にならない。 タービンエンジンが己のエネルギーで空気を圧縮して連続燃焼するように、元気な人は自分のエネルギーでさらに元気な状態を持続できるけれど、自分はそれがかなり下手というか、自分で自分の元気を殺してしまうところがある。
自分の魂の仕組みは不思議で、よく分からない。やや狂っていると思う。誰かに分かち合えるようなものではないが、言葉にすることができる。