オリンピックでなんか騒がしいけれど、触発されていろいろ考えて†垂れ流した†のでメモ。
東京五輪のエンブレムの使用中止が決まったが、僕がとても気になるのは、佐野氏へのバッシングが異常にエスカレートしていることだ。彼は、既に社会的制裁を受けている。彼に非があったとしても、無制限に人を叩くなと思う。水に落ちた犬を棒で叩くような風潮が僕は本当に嫌だ。(小池一夫)
— 小池一夫 (@koikekazuo) 2015, 9月 1
これで佐野氏が自殺して「お前が追い詰めた」って殺し合いを始めるところまでが本邦文化。
— プロ臣民(なかよしの党支持) (@Ponkom) 2015, 9月 1
毎度繰り返される、行きすぎたバッシングと"悪者の自殺"のコンボ技が決まるたびに、「正義を振りかざしているように見えるが、弱い者をいじめたいだけなのではないか、それがぼくたちの国のやり方なんだ」と、厭な思いにかられる。
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
そして死んでしまえば、てのひらを返したように善人や聖人君子のようにまつりあげられる。死者に鞭打たないというのはそれはそれで良いのだろうが、だったら最初からそこまでしばくなよ、と。
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
この国ではバッシングは合法的な殺人だよ。社会に溜まっている怒りが、力の集中した梁や柱が砕けるように炸裂して、人が死ぬ。
繁栄こそしているが、不安定だ。なんとかならないか、なんとかならないかと、痛ましい事件が起こる度に思う。自分とは関係無いかもしれないし、どうしようもないのだけれど
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
ああっ最上さまっ!!!(真面目なツイートとのバランスをしています)
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
どーーーでもいい事でネットが炎上してクビになる話やどーーーでもいい落ち度でバッシング食らって自殺する人のニュースがもう全然珍しくもなくて、なんだか過熱した湯のような社会に生きてるなあ、と。自分から熱くなってるのか誰かから焚き付けられてるのか分からんけど。
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
逆ギレして戦争始めたと思えば戦犯探して叩くし、怒りを溜めやすい社会構造なのかもしれんね。近所の国を笑ってられんぞ。
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
自殺は形を変えた殺人みたいなもので、特定の誰かが殺すのではなく社会が間接的に殺しているだけなんだな。つまり国民全員が共犯なわけで、自殺は他人事じゃない。勝手に人が死ぬわけないでしょう。病気ならともかく。病気だけで人が毎年こんなに死にますか。
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
(我ながらいい事言ったでしかし・・・)
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
おおらかな国でもガチガチな国でも不幸な人間が出てしまう。
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
だいたい法律にも無いのに間接的とはいえバッシングすることで人を罰することができるのはおかしいのではないか?人が人を罰すると?(ガンダムめいた台詞)
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
どーでもいいバッシングするくらいならギター弾けよ、料理でもしろよ、ドライブ行けよ、ゲームしようぜ、人と遊ぼうよ。そのほうが精神にも良いし世界が平和になってハッピー。わざわざ不幸になる必要は無いもんね。
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
もがみんとハッピーになろう、今すぐ艦これして後から苦しもう
— 椛川 (@windymelt) 2015, 9月 1
艦これのほうが世界に幸福を与えている。