技術にせよ趣味にせよ,切れる手札は多ければ多いほど良い,とずっと思っていて,アイデンティティについてもそうである,という旨のことを考えていた。
文脈
韓国の少女像が日本で展示されており,公金も絡んでいるので揉めている,という背景がある。
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少女像をどこが展示しようが俺たちの今日明日の生活には何の関係もないんだからどうでもいいだろ・・・という感想しかない
— 誕生日は8/13🌈💰🎨 (@windymelt) 2019年8月3日
"日本人であること"に過剰にアイデンティティのウエイトを置いていると碌なことがない。これは"会社員であること"や"オタクであること"についても同じで,アイデンティティの手札が少ないと,ある事柄について一歩引いて考えるということを難しくしてしまうためである。
— 誕生日は8/13🌈💰🎨 (@windymelt) 2019年8月3日
それとは別に,アイデンティティにもそれぞれに強度や脆弱性というものがあると思っている。自己完結しているアイデンティティは強固で,例えば"読書が趣味"は干犯のしようがほぼないので強い。
— 誕生日は8/13🌈💰🎨 (@windymelt) 2019年8月3日
その一方で"日本人である"といった社会的なアイデンティティは,他者が関わってくるために脆弱性を孕んでいて,しかも政府の政策的な道具になりうるから,さらに脆弱になると考えている。このため手札としてはあまりお勧めできない類のアイデンティティだと思っている。
— 誕生日は8/13🌈💰🎨 (@windymelt) 2019年8月3日
争いはメリットを生まない。しかし唯一のアイデンティティを犯されると人間は争わなければならなくなる。すると,争いを生みにくいアイデンティティを取得したほうが有利ということになる。そうでなくとも,一つのかごに卵を積むのをやめるだけで,充分争いと疲弊を避けることができる。
— 誕生日は8/13🌈💰🎨 (@windymelt) 2019年8月3日
社会の多様性が広がり,様々なアイデンティティを取得できるようになっている。しかしその強度はどうなのだろう。多様といっても社会的なアイデンティティが中心であればその強度は脆く,同調圧力や学級会は避けられない。
— 誕生日は8/13🌈💰🎨 (@windymelt) 2019年8月3日
みんなでやるものほどアイデンティティとして脆弱だと思っている。ここで脆弱と言っているのは摩擦や揉め事や精神的動揺をまねきやすいという意味である。
あらゆる活動がソーシャルなものになっていく中で,強固だった概念がどんどんアイデンティティとしては脆弱になっていくような感じがしている。一人でできることが減っているということでもある。
ところで最も強固なアイデンティティは宗教的アイデンティティになろうかと思うが,特に一神教地域では神との関係は一対一の契約関係にあるものが多いと認識している*1。これはソーシャル(教会や信仰共同体)と自己完結(一対一の契約)とがコンクリートのように混合されていて,それが非常に強固なアイデンティティを保持する原動力になっているのだろうか,と思ったりもした。
*1:あまり詳しくないのではずれていたら申し訳ない。