Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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暮らしに終わりをつけていく必要性について

謹賀新年。あけましておめでとうございます。今年も良い年でありますように。

さて、新年になると気持ちが晴れやかになって新たな行動へのやる気が出てくる。普通の月が変わる瞬間ではこうはならない。じゃあ正月の何がそうさせるのだろうと考えたところ、自分のようなかなり怠惰な人間であっても年の瀬にはさすがにその年を振り返って、この年はこういう年だった、とけじめをつけていくからではないかと思った。言い換えると、けじめをつける、つまり過去の暮らしに終わりをつけることで意識を過去から切り離し、未来へと目を向けることができるようになるのだ。

今回は具体的には大晦日に記事を書いて、今年はこういう年だったと割り切った。そこで過去に決着をつけたのだ。それ以上はもう踏み込まない。これができたからこそ、自分は新年を晴れやかに迎えられた。終わり良ければ、などと言うが、この言葉はなかなか本質を突いている。ある期間に終わりをつけられる人はなかなかいない。日記はなかなか書けないものだし、1週間はずるずると続けてしまう。終わりを突きつけることで初めて自分は期間というものと向き合えた。もしくは、終わりを突きつけなければうまいことやりたい事をこなしながら暮らしていくことなどできやしないのかもしれない。終わりを想定して、帰着点を織り込み済みで事を始める必要があるのかもしれない。それができなくて失敗した例など世の中にはたくさんある。終わりがなければ、始めることができないのだ。

こう書いてみるとごく当たり前のことを述べているだけだし、似たようなことは自分も以前に聞いたことがあった。しかし暮らしの実感と結びついたのはこれが初めてだった。まずはできるところから小さくやって行こうかと思う。また日記を書くのも良いかもしれない。月末に振り返る時間を取るのも良いかもしれない。

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