Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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淡々と暮らす

天皇誕生日ということで祝日である。自分のような平民にも休みが与えられてありがたい話だが、だからといって何かをやるというわけでもないので寝ていたら、注文していた荷物が午前に到着してしまったので中途半端なタイミングで起きてしまった。朝食にも昼食にも似つかわしくない時分に目が覚めてしまい、しかもやや眠い。注文していたのは自動で動くゴミ箱なのだが、その話はまたそのうちすると思う。

先日、爲末大 氏のツイートを見た(強調は筆者による)。

私の父親は食道がんで亡くなったのですがステージ4と告知された時母親はかなり動揺しました。あのタイミングっていろんな人が声をかけてくれるみたいで、その中には宗教的なやつもあれば、トンデモ医療みたいなのものから誘われたりするのですが、母は「そんなわけがない」と標準治療を選びました。 後から聞いてみると、同じ状況で親族が〇〇にハマって、〇〇に傾倒して、という話をたくさん聞きます。頭の良し悪しというわけでもなさそうです。頭がいい方は好奇心が強く新しいものに興味を持つし、一度納得すると理論を信じます。一度信じればあとはネットのバブルの中でどんどん加速します。 母親はなぜそうならなかったのかを考えてみると、淡々とした日常を送る力の強さと関係しているのではないかと思います。私の家は静かな家で音もなく、誕生日やクリスマスも派手なお祝いをしませんでした。日常の淡々とした繰り返しこそが人生であるという考えが生活に通底していました。 その後トンデモ理論みたいな話を聞く機会がありましたが、ちゃんと聞くと9割ぐらい真っ当なことを言っています。ただ1割がおかしくてそれによって全体が全く別物に変容してしまっているというものがほとんどでした。この1割に対して「そんなはずがない」と思えるかどうかがポイントだと思いました。 それは知的な能力というよりも、地面に足をつけている実感、淡々とした日常からくる肌感覚みたいなものだったのではないかと思うのです。「一発逆転」とか「魔法のように効く」を期待せず、現状を直視する力だったのではないかと思います。それは考えることより、生活から生み出されるのではないか 母の朝ごはんと午前の山登りのルーティーンはここ20年ほど変わりません。母の息子である私は、浮足立たず、こうした淡々とした日常を繰り返せる力が大事だと思うようになっています。 そんな母はいつの間にか近所の山を1000回登ってました。 https://twitter.com/daijapan/status/1628167262489419777

日常の淡々とした繰り返しこそが人生である。その言葉に力強い魅力を感じた。自分はどちらかといえば派手さを好むタイプである。面白いほうが良いという行動原理でしばしば行動する。目立つのが好きだ。熱中したり、飽きたりする。承認に飢えている。

しかし、そうした暮らしは自分を振り回す。何かが起こることを期待すると、終わりがない。 面白いことが起こってほしいのにそれが起こらないとか、つまらぬことが起こったとかで立腹するのは、かなり人生を浪費していることになる。

その点、「淡々とした繰り返し」には派手さこそないものの、おそらく木洩れ日のような心地良さがあるのだろう。しかも、淡々とした暮らしはちょっとやそっとの事では他人に左右されない。他人の思想や消費活動にそれほど依拠しないからだ。

人はときおり「人生の意味」に突き当たって身動きが取れなくなる。大事にしていたものを失うとか、依拠していた思想的支柱が消えるとか、何らかの熱中から醒めたときとか、そういうときに人生に向き合わなければならなくなりがちだ。そういう局面でも、「淡々とした繰り返しこそが人生である」という思想は力を持つ。人生のようなものに、輝かしい栄光のゴールや究極の到達点のようなものはなく、繰り返しこそが本体なのだという考え方は、成功だとかキャリアだとか、そういう社会の良くわからなさから人を解放してくれる。圧倒的成長に向かって努力しないお前の人生は無意味だという呪いからの救済である。

そういう淡々とした繰り返しをベースに、暮らしや普段の行いを再構成すると、自分を苦しめていた社会の息苦しさや立つ瀬の無い不安感がどこかに移項して吸収されていくように思える。この思想が、至上価値といったボンヤリした概念を粉砕するからだ。「自分とは何か?」という問いが不要になるからだ。

いま世の中は真逆へと突進している。世の中全体が動いているので、よくわからないまま、目立つこと、耳目を集めることの競争に巻き込まれる。そういう流れに錨を降ろすという意味でも、淡々と暮らすという思想を1つ道具として持っておくと良いだろうと思う。

追記

ブコメへ

為末さんこそ、これ以上専門外のことでトンチンカンな事を言わないように、今こそ「淡々と暮らす」を実践すべきだと思うよ。

そういう話してねえだろうが しばくぞこの野郎

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