寝てたら突然部屋から数人の男性の声がして,なにごとかと思ったらDiscordつけっぱで寝てて,同僚が僕がいたチャンネルで業務相談していたのが,部屋のスピーカーからフルボイスしていたことがわかった,なかなか怖かった
— W i n d y m e l t (@windymelt) 2020年10月29日
朝のまどろみから抜け出す手がかりはいつだって意味不明だ.今日は同僚の声がモーニングコールになり心臓が止まりそうになった.Mourning callになるところだったぜ.
今回は不要だったが,自分は心配性だから目覚ましをいくつもかける.そう,心配性で困ってる.何か起きたらどうしよう.自分はすぐ対処できなければならない.こうだと言えなければならない. いつもそう思っていたし,そうできそうもないことに苦しみながら,不安を抱いていた. 君はすぐ対処できる?こうだと言える?
今日はちょっと早く起きられたからスタバにコーヒーを買いに行けるぜ.すっかり気候が変わっててけっこう寒い!親戚の子供に久しぶりに会ったらきっとこんな感じだな.
勃発した事象に対してすぐ理性を働かせ,合理的に対処するだけが人間ではない.どうやら人間は「対応する」だけの存在ではないらしい.包容力というものがあることに気付く.バスケットボールをぶつけた体育館の壁のように,打てば響き,ボールを返す.そういうふうに人間を捉えていたけれど,すぐ返事をする必要なんかなくて,いったん受け止めて,そこからじっくり考えてもいいし,逃げたっていいし,もちろんすぐアクションしても良い.大事なのは,リアクションをすぐしなくても良いんだということ.だって無理でしょ.すぐ返事しろ,今サインしろっていうのは悪党の常套手段でしょ.情報に対する受け止め方もそうなんだよ.
ブレンドコーヒーをホットで.ごくごく飲むからグランデサイズだ.チキンを挟んだパンも買っとくか.念の為と毎回言うんだけれど,結局こういうのはすぐ食べてしまう.猫舌だから持ち帰るまで飲めない.
いったん受け止めること,それは未来の自分に対する信頼.起こるかわからない将来に対して怯えるのではなく,その時にでも対処できるであろう自分に対して信頼を抱くわけ. 不安に怯えるとき,自分は今まさに起こっている現実に怯えているのではない.今よりちょっと先の,ぼんやりとした未来の予感に怯えているのだ.これは本末転倒している.未来は常に現実の延長線上にあるのに.集中し向き合うべきは今であるのに.現実逃避ってわけ.
生き様をなんとかしたかったら,存在すらしていない未来のほうを向いちゃダメなわけ.今まさに君臨している現実に突撃することによって,未来が切り拓かれるわけ.