Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

Invite link for Scalaわいわいランド

ネットサーフィンをしだすときりがない / リスペクトの交換あるいはネコの毛繕い効果

1

暮らしていると生活の大半をネットサーフィンしていたりする.ネットサーフィンには目的が無くて,目的が無いので終わることもなくて,だらだらと続けてしまう.

本だと,読み終わるとか,飽きて中断するとか,おなかがすいて集中できなくなるといったイベントがあるけれど,ネットサーフィンだと好奇心が湧くようなコンテンツにすぐジャンプできてしまうし,食べながらでもできる.

いわばコンテンツが動的に無限に出てくるというのが良くも悪くもすごくて,自分の頭で想像を働かせる前に次のコンテンツが登場するようになっている.YouTubeとか見てても,余韻に浸れるのは10秒くらいで,次にはもう別の動画が始まってる.これを性格悪く表現すると,人間に自分で考えさせないようにできてるな,といえる.実際,中学校あたりまでは家にネットが来てなかったので自分で考える時間があったけど,ネットがやってくるようになってからは「調べるためにネットを使う」のが終わって「ネットの中で何かさせられる」状態になっている.そのためか,自分では考えなくなっているような気がしていて,自分で思考をしているのはこうやってブログを書いているときか,仕事で設計について考えているときくらいな気がする.

さっきの続きで,ネットサーフィンには目的が無いので,やり終わった後も達成感は特に無くて,虚無を得ることになる.すると虚無であるがゆえにまたネットサーフィンで心の虚無を埋めようとしてしまう. 平和な生活に馴染めなくなり戦場に戻ってしまう兵士のようでいとあはれなりといった趣が残る.

2

大学を出るころには自分が考える人類から反応する人類に進化もしくは退化しているような気がしていて,最近はそれに抗おうとしているのだけれど,世の中はどんどん反応する人類へと正直に変化していっているようで,たとえば国の一大ニュースでも,熟考するのではなくパパッと反応してクレバーなことを言って耳目を集めることがなによりも大事になっている.その場で注目を浴びたらそれでよくて,みんなすぐに忘れて次の話題を探している,といった状態.

耳目を集めることがなによりも尊いという世界観になりつつあるけど,実際の生活は耳目を集めることでは成り立たず,フォロワーが多いと年金が増えるみたいな制度も無いので,耳目を集められないので不満を感じつつ暮らすか,耳目を集められるが生活は破綻しているか,耳目も集められるし生活も充実しているか,耳目も集められず生活も破綻している,といった象限が考えられる.

人間の実存は,ネットに吸い取られたと思っていて,たとえば友達と会ってもスマホを眺めていたりする.それまでは地縁や人間関係といったもので繋ぎ止められていた,人間同士のリスペクトの交換という,ネコで言えば互いにスリスリしたり毛繕いをし合うような社会機能が,正しくネットによって市場主義に移行していて,クレバーな人間はたくさん人々から実存を認めてもらえるけれど,クレバーでない大多数の人間は,毛繕いしてくれる他人を奪われた格好になって,たとえばそれまでは近所の人との付き合いでかろうじて自分の居場所を持てていた孤独な人間が,社会から見放されてしまうと思う.ここからは完全に妄想だけれど,ネットで流行している国粋主義や逆に極端な政権への憎悪といったものは,そうやって実存を奪われた普通の人なのではないか.市場原理を勝ち抜けるような才能を備えていなければ,社会の一員として認めてもらえるという最低限の尊厳を失うような世界観へとシフトしていくのではないかと思っている.

3

人間にはネコの毛繕いが必要だと思っていて,たとえば近所のスタバに行くとあいさつをしてくれて,適当な会話をしてくれたり,メニューに迷っていると新作を紹介してくれたりする.好きなブランドの服屋に行くと最近人気の服やコーディネートについて教えてくれたりする.それ自体は特段の価値を持たないのだけれど,人間が社会を維持するには不可欠な機能で,「わたしはあなたのことを尊重しています」というリスペクトを交換する儀式だと思う.これまでは職場で会話したりすることでこれが得られていたけれど,目下リモートワークになってしまい,職務遂行のための最低限の会話以外はあまりなされなくなりつつあるし,単に音質や画質の制限からコミュニケーションがとりづらいので,その機能はほとんど失われたといってもよい.なので誰もが自分の存在を主張することができなくて,ネットでギスギスやっていたりするのだと思っている.

そういうわけか,最近は話し掛けてほしくて,そういう店によく行くようになったし,ウーバーイーツの配達員にもでかい声で挨拶したりしている.そういうのが苦手な人もいるし,元々自分もあまり話し掛けてほしくなかった口だったけれど,最近は一人暮らしもあって寂しいのか人間が喋る店によく行く.それまでは勘弁してくれと思っていたので,こういう店があるのはそういうことなのだな,という新鮮な驚きに満ちている.そして,あそこであのとき話し掛けてきたオジさんオバちゃんは,寂しかったんだな……と思ったのだった.

★記事をRTしてもらえると喜びます
Webアプリケーション開発関連の記事を投稿しています.読者になってみませんか?