Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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きみは自分が代替不可能である喜びを感じたことがあるか

アイデアを募集している感じの日記です.

鏡を見る度に若干肌のツヤが落ちているような気がするが,それは世の道理というもので,抗うことのできない加齢の轍である.がしかし,はて自分は成人して大人になっていたんだっけ,と疑うことがまあまあある.自分が思っていた大人というのはもうちょっと賢くて,なんならおカネも持っていて,あとなんかいろいろ…………充実している気がしていた.

目下私は齢27を数えるところだが,自分に自信マックスというわけでは全く無い.人間レヴェルは,いまのところ独身会社員男性を満喫しており,ニンゲンと話す機会はDiscordで同僚たちと興じるゲームの会話か,近所のセブンイレブン(そろそろ顔を覚えられているだろう!)の店員くらいである. 生活に困らない程度にまあまあおカネを持ってはいるがブイブイ言わせていると誇示するにはちょっと心もとない程度の残高であり,ちょっと散財すると翌月は粗雑な自炊が増えたりする程度の暮らしをしている. 仕事が圧倒的にデキるので自分に満足しているかと言えばそうでも……まあもうちょっと上手くやれればな……という具合であって,堂々と胸を張ってANAのプレミアムシートに座れるほどエラい仕事ぶりではない.

というわけで,今回はめくるめく「なんか上手く行ってるし自分の仕事ぶりにも満足している,社会は自分を認めている,自分は社会を支えている,自分は尊敬を受けてしかるべきだ」というあの絶妙な感覚と,その欠落について語らねばならない.

読者諸賢も,自分がなんか良い事をしている,という感覚を覚えたことがきっとあるはずだが(なかったら残念),これは他の人間が自分とは異なる事をやっており,相互に代替不可能な場合に発生するらしい. ところが自分のように「職場の大体の人間がエンジニアである」「職場以外の人間と話す機会が無い」という状況だと,まあ自分に出来る事は他人にも出来るし,またvice versaその逆もまた然りなのだ. ちなみに実家に居る間などは家族が存在する状態であり,自分だけの事を存分に披露できるという状態になるので,この感覚は相当良い状態になる.自分は交換不可能であるし,家のWi-Fiを直せるのは自分だけだ(そしてそれを裏付けるように,年末はその為に帰省しなければならないらしい).ここで言いたいのは,人間が一番自分が光っていると感じるのは,同質な人間の集合ではなく,異質な人間の集合の中で独自の価値を発揮できている時なのかもしれない,ということだ.

それが本当なのかどうかはさておいて,とにかくステイホームでありリモートワークでありテレワークであり自己隔離である昨今の情勢において,いかにソフトウェア開発者は自己が「代替不可能」であるという満足を確保するのか,ということが分からなければ,自分は夜も眠れず,消化不良を起こし,腹痛によって禁門の変が発生するかもしれない.何か手立てはないのだろうか?

すぐ思い付く(そして大抵既に実行している)アクションは,「なんかを購入することで社会と接触し,実存を得る」である.なんか良いものを買うとなんか偉くなった気がする.それがすべてだ.言い換えると「自分を労る」とか「自分へのご褒美」ということになる. 社会が自分にリスペクトをくれるかは不確定なので,自分で渡すという戦略である.だがもうちょっと安上がりな戦略を知っていたほうが財布には優しそうだ.

もしかすると,「代替不可能」で喜びを感じるようなソフトウェア開発者は実は少数派であり,インデントの調整や型アノテーションによって直接快楽中枢が刺激され,ドーパミンとGABA(ついでにメラトニン)が放出される人類も居るかもしれない. 残念な事に自分は「結局それはなんなんだ?」という疑い深い目線を向けてしまうので,最終的に代替不可能であることに安心と満足を感じるようになってしまった.ようするに価値観自体を疑うクセがついている人類である.

ところで,「まあ自分の存在は代替可能だよね……」と諦めるというアプローチも存在する.そこから深い喜びは生じないかもしれないが,ひとまず収入は得られるので良いのではないか,という感じ. 古き良き日本的に捉えるならば,皆同じことをするし目立たない(目立つのは悪である)ので安心,というモデルである.

このへんはなんか人類全体の普遍的な苦しみという感じもする.より下卑た話題に移ると,とにかく「俺じゃなきゃダメだ!!」という感じで自分の労働意欲を刺激して,どんどん仕事ができるようになりたい.

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