読書
- 『奴隷のしつけ方』
- 『ハーモニー』
卒業
入社を控えたものの何をすべきかわからずぼうっと過ごしている。私には京都はわからない都市だ。そこでの生活が想像できない。
卒業式に出た。無事卒業である。未だにその実感は無いが、手元には法学士の学位記がある。四年間をかたどった紙切れ一つがあって、実は夢を見ていたのではないかというような気持ちになる。
しかし卒業している。学生と社会人との間にはかくも広く深い溝があるのか。就活を経由していない自分は今更そう思う。この間まで「学生のくせに」といった顔で見ていたくせに、いきなり社会の一級市民としての期待を背負わされても、迷惑な話だ。変な社会だ。
そういえば卒業式のついでに津和野に行った。 家族と蒸気機関車のエネルギーを感じながらの旅行だった。 某という画家の美術館を巡って、好きな画風だと思ったのでその名をAmazonで一通り検索してほしい物リストに入れた。なんとも現代的でSFだと思う。
写真ほどじゃなかったねと親が言ったので、平々凡々たる中からなにがしかの意味や感動を見出すのが感性のなせる業ではないかと、津和野の人のために付け加えておいた。自分は開発合宿に良さそうだとか、そんな事ばかり考えていた。 人が普通に暮らしている所は、たいてい平凡なものである。
その翌日の深夜に某所で送別の二次会を開いた。 今回は特別に費用をサークルが持ってくれるというので好き放題ビールを買い物カゴに放り込んだが、酔うのが惜しくてあまり飲めなかった。
ネットは一見自分たちを何処でも会えるかの様に錯覚させるが、ネットがあったところで人が行動的になるわけではない。むしろ逆だ。ネットは人を怠惰たらしめる。 サークルの人間たちが今後どのような距離になるのか、そのとき自分は冷徹に計算していた。意図しなければ、簡単に人は疎遠になる。ネットはその手伝いをしているようにも思えてきた。
帰宅した実家の庭で、敷かれた砂利に陽が当たり、咲いた梅の影をつくっている中、ああここは現実なんだなと自分は思った。竹林の囁き声が実家には絶えない。