Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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髪を切り、正解を切る

髪切った

久々に髪を切るかと思って美容院に行ったら一ヶ月半も経っていたので笑ってしまう。そしてもりもり伸びた髪のせいでめちゃくちゃな髪型になっていた。今回は髪にカラーを入れたけど、元々の髪が太いしブリーチしなかったので一見わかりづらいけど、ちょっとアッシュ系のグリーンになった。

自分は美容院に行った日にしばらく香っているすこし変な薬品の香りとシャンプーのいい香りとが混ざっているのを漂わせて、時折自分からその匂いがするのが好きだ。適度に人工的で、非日常な感じがして、暮らしに風が吹き込むような良い気分になれるからだ。男一人だけで暮らしていると、部屋の匂いはだいたい後回しになるので、においの落差に少しがっかりするのだけれど、具体的にどこの匂いが良くないのかわからないし、部屋中のファブリックを全部洗うのかというとそれもまた非現実的なので、適度になんかを洗うしかない。

幸せの形

以前は、ふと暇を持て余した時には漠然とした不安が心に広がっていたけれど、最近は漠然とした幸福感が広がるようになった。というか、そのための訓練を自分でして、それができるようになったことの証左だ。インターネットの瘴気のようなものから逃れる術を開発したというか、インターネットに存在しないものを見つけたというか、うまく表現できない。ようやく、自分と他者とを切り離せるようになったと言えば良いのだろうか。本当の意味で自分の好きにするということがわかってきたというか。

あまり自分の意志というものが無かった子供だったので、誰かが命じるからとか、誰かのためにだとか、大人が喜ぶからとか、やらないといけないからとか、社会が要請するからみたいな理由がいつだって自分の行動基準だった。つねに誰かとの関係が自分の行動を決めていた。なので、大学に進学して一人暮らしをしていたとき、本当に何もできなくて、奴隷が初めて自由になれたみたいな、映画みたいな状態でいた。そういう感じだったので、社会問題みたいなのの逃避しがちで、自分にべき論を与えてくれる存在にもたれかかっては、それは所詮は他人の都合で動く他人なので、失望したり怒ったり悲しんだりした。

時空が飛び、今となっては、良い意味でインターネットの政治運動みたいなのに失望したので、結局こういうのは虚しいのだ、自分の幸せは自分で描くしかないのだ、そして好き嫌いというのはきわめてプライベートなことであって、正解も不正解もないし、人間は元来そんなの各自が自由にやっているのだけれど、ネットというやつが流行ってしまったので、正解が無いと不安な人たちが正解を決めようとするし、それが主流コンテンツみたいになってるのに自分が気づけなかっただけだったのである。人は遥かに遥かに自由で広大。

インターネットでは互いのことを良く知らない人同士があまりに互いに干渉し合うようになっていて、少し離れて暮らす、ということができなくなっているのは、本来の人間の在り方とは乖離していて不幸なことだと思う。 じゃあどうするのかという答えはまだ出てない。ネット使わないわけにもいかないし、良いところは享受したいけど、悪いところはこうむりたくない。

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