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京都在住Webエンジニアの日記です

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動に対する(連なる)静なる日々 / ファッション雑誌を買わずに帰る

読んだ。

ネットは社会を分断しない (角川新書)

ネットは社会を分断しない (角川新書)

ネットで世の中が政治的に分断されて、互いが互いの意見を聞かなくなり、民主主義が機能不全になるのではないか、という問いに統計的に反論をしてみる本。 ネットの政治的書き込みは限られたごくわずかな人が行っており、それらが構造的に吸い上げられて拡散されるため、分断が進んでいるように見えるというのが主張。 またネットによく触れるほどむしろ政治的な過激さは薄まっていき、穏健になっていることも示している。インターネットにぐったりしていたので、個人的に救いとなる本だった。

また自分のネットの使い方についての発見もあった。そもそも自分のようにネットに頻繁に書き込み、ブログとしてアウトプットしている人は一般的ではなく、かなり限られていることを自覚した。 Webエンジニア業界にいるとアウトプットを行い自己主張をするのが普通の生き方のようになってしまっているのだが、普通はそんなことないよ、という、風邪を引いたときに看病してくれる母親にも似た安堵感。アウトプットというのは特殊な行為なのだという自覚が出たことで、ネットの書き込み恐れるに足らずというか、極端な人、どうしても発信したい人がたくさん書き込んでるんだからネットで流通している言辞をあまり真に受けなくても良いよね、という、ようやく安心できる気持ちになった。これまではネットの書き込みについて心配したり怒ったりしてきて、頻繁に確認しないと気がすまなかった側面があったのだが、書き込み自体が特殊な行為なので、そういうことはあまり意味がないのだなと思えるようになってきた。

そういえば自分の暮らしは動的な部分で多くが構成されてきたなあと、今のひんやりした精神にはそう感じられる。Twitterを追うとか、はてブを見るとか、友達の誰かが今何をしているとか、そういう差分を探すような暮らしをしていた。 最新のもの、見識、考え方にがんばって適合しようとし、理解しようとする。そうやって絶えず自分を塗り替えていくことが、Webエンジニアの世界では正なのである。自分にしがみつく人間は「論理的ではない」から、「正しくない」とされる。根拠に立脚していなければ認めてもらえない。これはあくまで自身の感想だが、Webエンジニアという人種は、エンジニアリングにかんする話題に限らず、生活一般についてもそのような考え方を敷衍している人が多いように感じている。そしてそれを他人にも求めようとする。わかってもらえるだろうか。わかってもらえるような気持ちと、わかってもらえないだろうなという天邪鬼な気持ちとが、賭けをしているときの目で、ネットをみつめている。その目は少し淋しそうでもあるのだけれど。

それに対して、静的な日々というものについて、ようやく現実の存在として認識できるようになってきた。想像してほしい。たまにきまぐれで、交通の便がそれほど良いわけではない紅茶専門店に紅茶を飲みに行く。理由もなく適当な注文をして、適当な本を読んで、適当な意見を持ったり持たなかったりして、正義に背を向けて、身勝手な愛を押し付けたり、好きな服を着たり、理由というものを涙で洗い流してしまうような、実りはないかもしれないが味気はあるような日々。 ある意味こちらのほうが「暮らす存在」としての人間にとって普遍的であり、論理的な生き方なのではないかと思われることがある。着心地の良いウールニットを身に付けたときのような距離感で、そうだろう?と心の間に迫ってくる。 ようやく自分が自分を好きにするとき、実は自分はネットの新情報や正しさをめぐる帰属意識の問題よりも、たのしさ、うつくしさ、といった人間の一側面に彫られたレリーフのような存在、たとえば出来の良い花瓶や、好きな銘柄の紅茶がポットウォーマーのろうそくに熱せられて、和やかな色の影が揺らめくのを眺めているのが好きなのかもしれない。

そんな中、これも暮らしだなと思ったので、ファッション雑誌を眺めに書店に行った。書店の天井は高くて、人がばらばらの方向に視線を投げ掛けているし、書店なのでさまざまな本の主張は食い違っていて、めまいがするし、動悸がするからさっさと帰りたくなったけれど、何冊か読んでいた。自分には『ファッジ』みたいなトラッドでシンプルな系統が似合うんだろうな、と思ったけれど、なんとなくしっくりこなかったので結局買わずに帰ってしまった。モデルは美しく、写真も調和がとれていて、服飾も落ち着いているのだが、日常を独善的な角度から切り取ったようで、命が動いている感じがしなくて不気味だった。「シティボーイ」という文字列を別の雑誌からちらつかされる。なんとなく苦手なシニフィエだなと思った。自分をわからせたいのか、わからせたくないのか、よくわからない態度だと感じた。おしゃれさとはなんなのかについて、自分の考え方の土壌が痩せているだけかもしれない。

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