今日は夕方になってからスタバで本を読んでいた。小説執筆に関する本で、友達が紹介してくれたので気になってその場で購入を決めたやつだ。
書いたのは、『ゲド戦記』で有名なル=グウィンという人。自分は小説を書くつもりはまったくないけれど、小説の作法を聞いている間は現実世界から離れることができるので、素直に読み進めることができる。現実世界は面倒で、やっかいで、重たいくせに繊細な取り扱いを要求する高価なガラスの彫刻だ。
かたくなな人であっても、ある誰かの言うことは素直に聞く――そういう人がだいたい一人はいる。自分の場合は数人の友達がそうなのだけれど、こういった小説にかんする本を仲間に加えてもいい。人によっては、特定の音楽や、作品がそうかもしれない。
かたくなになるのは良くないと理性の上ではだいたい分かっている。かたくなになると人の意見を聞き入れられないし、なにより疲弊する。その一方で、暮らしの中に浸透しているSNSは、必ずしも柔和な態度で向き合ってくれるとは限らなくて、気を抜くと自分をかたくなにさせてしまう。悲しいことに、挑発と自己正当化にあふれている。自然と棲み分けされてきたはずの人たちが人工的に交叉させられて、そこにいるだけで激しい軋みの音が聞こえてくる。その軋みに耐えかねてかたくなになってしまう。しょうもない人が世の中の一定割合を占めているのはしょうがないのに、しょうもない人がじゃんじゃん目に入ってくる事にしょんぼりしてしまう。とはいえ、性悪説が世界の度量衡になってしまうとひねくれじじいになってしまうだろう、みたいな気持ちがある。
そういうわずらわしさから身を守るのが、穏やかさだと思う。バチバチした場所にいるとつられて自分もかたくなになりがちなのだけれど、穏やかさを意図的に守っていきたい。