あまりブログでは政治的な話題は書かないようにしているが、特に思ったのでメモしておく。
人がなにかウソをついたり、悪事を働いたり、誰かを騙したりしたことが判明したとき、騙された方が悪いとみなし、むしろ騙された方を(いかがなものかという消極的なフォーメーションで)攻撃する態度がインターネットに蔓延している。騙された側を攻撃すれば、手軽に識者になれる。説教するだけでよい。
最近もそういうことがあった。
あたりまえだが、騙した方が悪い。
騙された方が悪いというロジックを内面化した人は、いざ自分が騙された段になると、なかなかそれを認められないという行動パターンに陥ってしまう。そして、そういうパターンの振舞いをする人が増えている。あまつさえ、それを指摘したりファクトチェックする側の過去の問題行動を掘り起こして、なんとか勝った体裁にしようとする。K・Yの朝日新聞に言われたくない、みたいな事を言って、問題をすり替えようとする。騙されるのは悪なので、どうしても騙されたということを認められない。ふつう、素直に騙された上で騙した側に怒った方が、世の中は良くなる。騙された方が悪いという論理の内面化は、世の中を停滞させ、悪くする。起こった問題について議論できなくする。堂々と、ダメだろと言わなければならない。
最近は、それを逆手に取ったかのように、開き直った態度を取る政治家が悪目立ちしている。ネットの風潮をよく理解しているのだろう。
ウソをウソと見抜ける人でないと、という有名なひろゆき氏の発言は、どちらかといえば匿名のネットのやりとりについて述べられたものであって、現代のネットにそのまま当てはめられるかというと、疑問があるように思う。
インターネットでは、弱みを見せた人間から順に、議論を経ず数の力で直接葬られてしまう。だから弱みを見せられない。
ここからは論理的に飛躍した感情レベルの話だが、最近はそういう事ばっかり起こっているような感じがしていて、この国大丈夫か、と思ってしまう。何事も真正面から向き合わない国やんけ、みたいないら立ちが、心にずっとひっかかっている。