Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

建前の再評価

建前なんかいらないよ、って暮らししてたけど、それだと周りが要求してくることを全部内面化しないといけないような気持ち悪さがあって、例えば世の中にある辛い話とか、人権が抑圧されている、国歌で起立してください、献血ポスターの乳が気に入らない、みたいな話に全部反応して、しんどいだけという問題があった。SNSが発達した現代、どう暮らしても他人の社会的不満に触れざるを得ない。「こうあるべきなのに、こうあるべきなのに」という主張が猛烈に広がって、よく言えば社会を動かす力になるし、悪く言えば不満をぶつけられ続ける。

まあ建前って必要だよねと思ったのである。建前ではそういうことにしておく、みたいなスタンスをとることで暮らしを守ることができる。触ったら指を切ってしまいそうな話題を、暮らしの中にまで持ち込まずに済む。ある意味自分の暮らしから見たニュートラルな態度をとることができるようになるから。

エンジニアなので、真に迫るようなスタンスで物事に向き合うことが多いのだけれど、社会的事象にもそういう態度をとっていると、一つの思想にどっぷりはまって他の思想を排撃するか、思想の間に挟まって苦しい思いをするかという感じになる。例えば献血するオタクの側にずっぷし立って、ポスター批判はけしからん、という主張をし続けるか、でもポスターが気に入らない人の気持ちもわかるなあ、となって辛い思いをするだけ、ということになる。例えが悪かったか。特に自分は他者がどう考えているか、異なる立場の人間の考えもなるだけ理解してあげようと努めているので、思想の板挟みになってしまいがちである。

どだい、思想というのはそれが実現困難であるからこそ設定されているのであって、なんでも真に受けて非実践に心を痛めたり、傾倒して暴れる必要もなくて、「べき論でいえば、究極的にはそうだけど俺たちは人間だよね」という態度をとる、それが建前なのではないかと思ったのであった。すぐ自分たちは「こうあるべき・べからざるだ」といって暴れてしまうのだが、「参与しない」というスタンスをもっと大事にしていきたい。