Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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我々はいつから暇じゃなくなった? / 暇がもたらすもの / 情報の整理について考えた

「今日も大したニュースのない暇な一日だったな」って最後に思ったのいつだったっけ…………と過去を振り返ってみると,はるか遠く小中学生,スマホもガラケーも蚊帳の外だった頃の記憶がおぼろげにあるばかりだ。

そして今自分はというと,VSCodeのことだったり,アメリカを席巻するBLMのことだったり,コロナ災禍のインパクトから時間が経過したこの現状から,ふと,『シン・ゴジラ』でゴジラ凍結後に残った,なんとなく平和だが遠くを見遣るとおぞましい怪物がそこに居る,という光景のことを思い出していた。

いろいろ考えはするのだが,どれもインターネットで消極的に情報を得て,それ以上の積極的な行動はしていないので,自分から調べたり考えたりしたものではないから,深い理解には至らない。 あたかもスマホやPCに紐で磁石をくくりつけて,そのへんを歩き回ってみると,なにがしかの断片的な情報がひっついている,といった具合に。

暇だからこそ理解が深まる

かつて「深くこの情報を理解して自分のものにできた」という確信を得たことがあった。その瞬間はどれも頭を空っぽにしてその事だけをごろごろと転がしていたようなときに訪れるのだ。 そうした僥倖に与ることができたのは,とめどなく物事をよこしてくる情報機器が手元に無く,そのために頭を空っぽにできる状況が作られていたからではなかろうか。

しかし今はとめどなく情報がやってきて消化のための時間をくれない。常に頭に何かが入っている。なんだか消化不良のまま次の大ニュースという場に参加させられ,気の効いたコメントをすることに必死になってしまう。これではいけない。

システマチックな情報の整理

といいつつ,実際に情報機器を手放すわけにもいかない。何か見逃している情報があるのではないかと心配にさせてしまう,麻薬のような常習性をサービスに与えるのに皆必死なのだ。

だが情報を整理しよう。「緊急(今でなければならないこと)」「重要」のマトリックスで整理すると,情報機器がもたらす大抵の情報は「緊急」かつ「重要ではない」か,さらには「緊急ではない」し「重要ではない」に仕分けられる。前者はSNSのフォロイーのフィードだったり,後者は広告といった類だ。ところが,まず知らなくてはならないのは「緊急」かつ「重要」な情報のはずで,次点で「緊急ではない」かつ「重要」な情報のはずだ。前者は地域の災害情報などで,後者は選挙の告知といった事だ。

ここに政治スキャンダルは特に含まれていないことにも注目されたい。政治家の失言といった類は格好の消費財なのだが,重要かどうかはさておき,緊急性は全くないだろう。 せいぜい選挙の日に検討する程度だ。街角に繰り出してデモを繰り広げるような状況はよほど切迫した状況でなければ起こらないし,そういう話であれば勝手に伝わってくる。 政治家のツイッターを見て一挙一動を監視するのは,それが趣味や本業でもないのならやめるべきだ。インターネットで活動する愛と自由の戦士達は,副業で成り立っている。

脱線した。「緊急」かつ「重要」な情報,または「緊急」ではないが「重要」な情報に絞って収集する方法について考えよう。 前者についてだが,今時の市民生活においては勝手に送り付けられることが多い。核弾頭が降ってきたらあらゆる方法で通知される。そこまで切迫していないにしても,重要な情報はたいてい身の回りで発生するので,普段から気にかけておいて可能ならばそれを知ることができるシステムを作るのが良かろうと思う。自分はソフトウェアエンジニアなのでそういう仕組みは作れるはずだ。 何が何でも呂布カルマの配信を見たければ,通知を設定することもできる。後者ならば溜め込んでおいて毎週月曜日にメールを配信するようなシステムがあると良いかもしれない。RSSやニュースをまとめてくれるのだ。

とはいえ,人は知りたがり病だ。知りたいという気持ちが生じるのは当然だし,自分も好奇心が大変強い方だが,人間の時間は限られている。よく好奇心を統制して,「本当にやりたいこと」「本当に知りたいこと」に絞るべきだ。そしてそれはだいたい「自分が今置かれている状況のせいで本当に知る必要があること」だ。こうすることで情報の力を一点に集中させて活路を切り開いていくことができるはずだ。

そういうわけで,本当に自分にとって重要な情報はなんなのか,考えてみると良いのではないか。主体的に生きるということも。

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