Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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他人の意見をパッとかわせるようになりたい

ネットには他人の意見というのが溢れていて、気を抜いていると突然コメント欄にすごいことが書かれてびっくりする、みたいな事がある。人間によってフィルタされていない生の言葉は文章としての品質も低い時があって、まず理解するためにエネルギーを吸い取られ、理解したら内容も過激でエネルギーを吸い取られたりする。

友達とかはパッとあまり考えないようにしたり見ないようにする術を身につけているようだけど、自分は文章があると読み込んで作者を想像してしまうので、ダメージを受けがち。冷徹なマシーンになりきれず、まあ貴方の言いたいことも分かります、くらいの態度で読んでしまうので、こんなこと考える人いるんだ……とダメージを受けてしまいがち。

この、冷徹なマシーンになるというのがポイントなのだろう。自分は他人の意見を切り捨てることが苦手で、切り捨てると可哀想だしな〜というか、相手にも言いたい事があるんだろうしな〜というような、カウンセラーみたいな気持ちになってしまう。自分も意見を言葉にパッと変換するのが不得手なので、それ基準で他人のことも見つめているのかもしれない。

おかしなこと言う人はいないだろう、みたいに基本他人を信用しているのかもしれない。まともな人、間違った人、と言うふうに人間に線引きをするのが嫌いだ。本当は、どんな人も間違ったことを言ったり、正しいことを言ったりするのだが。自分の中では、意見と人格が分離できていないのかも。普通人間は雑な意見言わないだろう、みたいなナイーブな感じなのかもしれない。

正しい意見と間違った意見とは何か?みたいな、懐疑論的立場になりがち、というのもある。自分は思想がガツンと転換するような体験を高校の頃しているので、当たり前に正義と考えている事がどうでも良くなる、みたいな経験をしている。だから、こうするべき、みたいな議論の必然性がよくわからない。そこで、君は間違ってるでしょ、みたいな発想にうまくなれない。ベースとなってる議論のデータがそもそも恣意的だったりするのではないか、みたいな疑念が消えなくて、それをわざわざ検証する手間暇をかけてまで考えたくない。

脇道として、データの信憑性の話題。ネットバトルしているとどっかからデータを持ってきて自説を補強していることがよくあるけれど、次はデータの信憑性バトルに大体なると思う。このデータを作ってる人が信用ならない、みたいな感じになるとどんどん泥沼になるし、最近は国の統計もあまり信用できないみたいな話題があって、あとは水掛論になる。

かといって、じゃあ全ての議論無意味なのでネットの議論全部無視します、が可能かと言うと怪しい。もともと自分は政治経済に興味があるので、無視しきれないと思う。最近は参院選もあってネットがバトルに溢れていて、回避できなそう。

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