Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

いいねボタンは自然な共感コミュニケーションを人間から奪っている

最近コロナまわりの話題で不毛なインターネットロゴスバトルを見すぎたせいか,「○○は××だよ」的な発言をインターネッツで見ると「オッこいつ逆張りしてマウントかけようとしてるのか」といううふうに精神が戦闘配置になってしまう。不幸だ。よく見ると全然そういうことじゃないときもあるし,実際に「そんな事も知らないんですね。あなたに○○ファンである資格はありません。死んでください。」みたいな煽りだったりする。

なんか最近「インターネットの反応」といったら攻撃的な反応や愚痴を書く,不満を述べるといったものが多くなっていて,純粋に共感するみたいなのが減ってるような気がしている。不必要に他者に他罰的というか,そういう感じ。 オメェ一言だけ多いんだよ!それが無ければ最高なのに!!みたいなのが多すぎる。

建設的意見という言葉がある(この言葉すら暴力の為に使われているようなフレーバーを感じずにはいられない)が,まともな建設をここしばらく見ていない。

そもそも共感や肯定をしたかったら,大抵のSNSには「いいね」という便利なボタンがあるので,それで済ませられるようになっている。 ある意味,自然な肯定のコミュニケーションを「いいね」ボタンは奪っているのだ。それで慣れきっているのだから,コメントするといえば攻撃やマウントになってしまうような気がする。 そもそも(攻撃的|叩きどころが多い)な意見ほど拡散されやすく,素直に愉快で素晴しい意見は拡散されないってのもある。

肯定は数種類しかないのに否定のしようはいくらでもあるというのも厄介だなと思う。知的な俺様はなにもわかってないバカを冷笑してクールにいなすぜ,みたいなキャラクターが人口に膾炙してて嫌な感じだ。 否定的コミュニケーションで味方を増やしていくのが一番楽なのは現実もネットも一緒だと思うが,こうも派手だとどうも夢見が悪い。

ビール飲んでるからなんかまとまりがない話になってしまった。このpostすら,何かの批判であり否定だ。何かの肯定をわざわざ書くというのは大変だ。インドの青鬼はとてもうまい。苦いビールが好きだ。