ぶらっと京都へ来た。彼女と遊ぶのだ。京都などというハイソな街はいくぶん地元からは遠すぎるため足を運ぶような事はほぼ無かったのだが、今回は古着、いわゆるアンティークの男物の着物を探すという小さな目的があった。家の近郊には男物—しかも古着—を扱うような店がまるで無いから、京都に来る事にしたのである。男性の着物愛好者が増える事を切に願う。
さて、生涯二度目となる京都は、寒気団によってもたらされた冷気で満たされていたらしく、時折吹く風が体を震わせた。そもそも盆地地形は気温が下がりやすいという気象学的な現象があるのだから、特段寒さが珍しいというわけでもあるまい。行き交う人々はあたりまえのように寒さを受容しているかのように見えた。しかしながらその姿は突然の寒さにやや驚いているようでもあった。
空腹を食物で充填するため我々は先斗町に足を運んだ。「ぽんとちょう」なる奇妙な名はポルトガル語の転訛だとも鼓の響きを音写したとも言われているようだが、なぜ「先斗」なる字が充てられたかについては謎だという。ちなみに行政上の「町」ではなく、地名でもない。京都には謎が多く、先斗町はその一角にすぎない。そこの某店にて卵黄と納豆を泡立てたそばである「有喜(うき)そば」なるものを食した。納豆に良からぬ幻想を抱く外国人はもとより納豆嫌いの日本人は聞いて羨め。これは非常に美味である。しかしながら幾分か柔らいでいるとはいえど納豆の臭気と粘りからは逃れることはできない。これは納豆を食する人間の宿命であり運命である。
今回の目的は着物以外にも存在する。というかシングルイシューだけで旅行というものは成り立たないであろう。『四畳半神話大系』に登場する各々の風景を巡るのである。京都に縦横無尽に張り巡らされている地下鉄を駆使し、下鴨神社だとか鴨川デルタだとかあたりをぶらりと廻った。下鴨神社は静かな「糺の森」の中にその社を構えていた。平日ではあったがその割には往来の数は想像以上であった。知名度の表れかそれとも霊験あらたかな神通力の表れかは知らないが、人々がこの神社を愛している事は確かだ。
京都では猫に頻繁に遭遇した。観光地では猫は食うには困らないのであろう。比較的高度な生活水準を維持しているようであり、毛並みの良さがそれを裏付けている。飼い猫の伝来は中国とも朝鮮とも言われていた気がするし、元より日本に居たとも言われるが、都に猫が定着してから久しいのであろう、すっかり風景に馴染んでいる。猫にはどうでもいい事かもしれないが。
商店街をぶらついていると韓国人の観光客が道に迷っていたらしくGoogle翻訳で助けを求めていたため一緒に目的地まで歩いた。たまたま目的地が同じだったが故の幸運であった。彼には人を選ぶ目があったと言えよう。そして異国人間の会話をも繋ぐGoogleの技術力に感謝するべきである。その後で我々は着物ショップに行くことにした。着物の古着屋を呉服店と呼ぶには少し偲びない気がする。
古着屋には割と簡単に辿り着くことができた。京都の構造からしておそらく最短距離である。店の女性は愛想の良い人であった。着物!伝統文化!着付け!といったいかめしい人ではなく、普段着としての着物をすすめてくれる和服の良き理解者であった。店の中で話し込み、結局長襦袢とウールの着物、伊達締め、足袋を購入した。これだけ揃えて一万円程度であった。おそらく一式揃えるのに二万円を出せば釣りが来るであろう。これが古着の魅力でもある。ただ、僕が比較的長身であるために着られる古着がかなり制限されるのが悲しいところだが、これもまた古着の宿命である。
まあそんな感じで一日目は終了。二日目は大阪に。
大阪では心斎橋あたりをウロウロ。携帯のナビ機能がポンコツすぎてよくわからない場所を行ったり来たりするという苦行を味わうこととなった。ここでも着物などを探してみようかと思っていたのだが、運悪く定休日だった。基本的に店というのは行くたびに定休日になっているような気がする。マーフィーの法則というやつだろうか。
ひととおり大阪のランドマークを見物して、串カツを食した。生姜、砂肝やイカなど、珍しい物もカツにされていた。もっとも砂肝は素揚げだったが。うまかったのでひょいひょい食べていたらあっというまに価格が青天井になった。たまたまその店のステッカーをレジで発見したのでMacに貼り付けることにした。
大阪ではあまり時間を過ごさなかった。帰りのフェリーに乗らなければならないからである。モノレールで移動したがこのモノレールは無人制御らしく、技術オタとしては大変興味深い体験であった。
フェリーの話はまたあとで。
京都寒いんだよォ!!いい加減にしろー!!