日常なんて何も起きないのが普通なのだ。
昭和の終わりごろでも、暮らしの大部分は普通の一日、ケの日々だったのだ。
たまにハレの日がやってきて、そしていずれ日常に帰っていく。永遠のハレは無い。
ネットによって、我々はいつでもハレを手にできる。というか、ネットが我々の暮らしを非日常一色に変えてしまったのだ。それは必ずしもハレではなく、精神的な落ち着きのなさ、せわしなさ、動揺、満たされなさを植えつけたのだ。
いつしか我々は、何か出来事がないと落ち着かなくなった。スワイプの先に何かが起きていないか探している。 でも日常には何もないのだ。
だからか、人は本来無いはずの物事同士の関連性を無理矢理認めて陰謀に身を委ねるのかもしれない。刺激に慣れるとはそういうことだ。より強い刺激を求めて、無から刺激を作り出している。
そんなことしなくても、暮らしは楽しくなると思う、僕はたまにパン屋に行く。