大学時代にバイトしてた飲食店で「起業!成長!仲間!夢!!」的概念に食傷し、「やりがい搾取」みたいな概念を知った所為で「成長」という言葉にちょっとした忌避感があったのだが、それが自分の本来の意味での成長を邪魔しているところも多分にありそうだなと思った。
— Windymelt / id:Windymelt (@windymelt) 2020年3月16日
技術とはあまり関係ないけど、その昔ブラック企業とかやりがい搾取とかがTwitterで話題になったのが自分がちょうど大学か高校かの頃で、その影響を多分に受けた自分はこういうのに気をつけないとなあと思いながら、大学生になった俺は日銭と楽器のサプライ用品代を稼ぐためにバイトを始めた。飲食店だったがそこの事務所の壁にはでっかく「夢」と書かれていて、おれは眼前に広がる現実に立ちつくすしかないのであった。
まあバイトをやめて数年後おれは無事単位をぴったり卒業したが、この頃の負のイメージが相当頭にこびり付いているのか、成長という言葉を見るといまだに目の奥あたりから忌避感情が湧き起こるのを感じる。 その結果なんだかがっかりしてがんばれない気持ちになってしまう。
心の奥では本当は違うような気もするし、しらふな頭で考えてみれば成長というのは喜ばしいことだ。それを使ってあくどいビジネスなんかやるのが卑しいのであって、成長という言葉には何の罪もない*1。それでもやはり、それだけ成長したい人が多いのと同じうして、成長をうたった怪しい商売やPV稼ぎの類が横行しているのもまた真なのである。
ほんとは自分だって成長したい。しかし成長したいと口遊んでみてもその気色からは胡散臭い調子が抜けず、無であって、空っぽのバケツが大きな音を立てているようでしかない。 ではどうすれば良いかというと、どうなりたいのか(それは納得できる姿なのか?)、何を目指すのか(それは求められるものなのか?)、何をするのか(それは納得できる方法なのか?)といったことをちゃんと突き詰めていくということになると思う。
「成長したい」といった曖昧な目標が出来てしまううちは、その界隈をちゃんと知らないのだと思っている。
*1:言葉に罪はないという気付きによく最近は遭遇する。