Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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仕事中によく雨の音をBGMにしている

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無限に雨が流れ続けるだけの動画がYouTubeにある。どういうわけか、自分はこの雨音を聞いていると安心してくる。小学校で、雨の日には外に出て遊べないから、誰もが図書室にやってきて、少し湿った空気の中で、外の暗雲と我々の上に嵌め込まれた蛍光灯の煌々とした明かりとのコントラストが舞台照明のようで印象的だったのを覚えている。

雨音は空気だけでなく心までも洗い流してくれるのだろうか。雨音は一種の物理的な障壁となって、人の活動音のいっさいを遮蔽してしまう。雨が世界を包んでいる間は、自分は良い意味で孤独だし、誰もが孤独だ。

この、「自分は孤独であり、他人もまた孤独である」という直感的な感覚は、ふらふらして不安定になっている人間をしゃんとさせる効能があるように思う。孤独であり、別に誰もがそうであるという前提があるからこそ、腰を落ち着けて何かを考えたり、こうやって文章を書いたりできる。自分だけが孤独なだけではだめなのだ。

現代は、自分や他人が孤独であることなどありえない。少なくとも、情報網が自分たちを繋いでいる、という意味の上では。友達のインスタが毎日更新される様子を毎日確認することができることのどこがいったい孤独だというのか。だがその輝きの裏に、なんらかの精神的な渇望が存在するのだ。けっして満たされることのない渇望を覆い隠すためのサービスであるといっても過言ではない。こうしたサービスは一時的に渇きを癒やすかもしれないが、より多くのものを人間から吸い取るように思う。盛大な祭を毎日やってもただ寂しいだけなのと同じだ。ではいかなる時に人間は満たされるのか…………。

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